吳泰奎・韓国総領事が特別講演 朝鮮半島の平和構築に日韓の協力の重要性を強調

特別講演会 2019年3月13日
駐大阪大韓民国総領事
吳 泰奎オ テギュ
文在寅ムン ジェイン氏政府と韓半島平和政策」

 

韓国総領事・呉泰奎氏

 文在寅政権が誕生した2017年から韓半島の情勢は大きく変化している。いつ武力衝突が起きてもおかしくない危機状態から対話と平和のムードが生まれる状態に変わった。17年までの状況はどうだったか。北朝鮮は核実験、ミサイル発射など16回にわたる戦略的な挑発をしていた。アメリカと北朝鮮の口論は激化し、トランプ大統領が金正恩委員長を「ロケットマン」と呼び、北朝鮮もトランプ大統領を「老いぼれの狂人」と激しく非難していた。北朝鮮のロケットが日本列島の上空を飛び、日本はJALERTを発動させ、安倍首相が韓半島情勢を「国難」と位置づけた。
 しかし、20182月の平昌オリンピック以降、状況は変わった。北朝鮮は挑発をやめている。アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長は2度の首脳会談を行い、相互の信頼を誇示している。日本の安倍首相はトランプ大統領をノーベル平和賞の候補者に推薦したといわれる。韓国と北朝鮮は3度の南北首脳会談をして、南北軍事合意書を採択した。こうした変化が起きたのには様々な複合的な理由があるが、文大統領の存在がなければ、こうした変化は起きなかっただろう。
 大阪北部地震で私も実感したが、日本には大地震など自然災害に対する恐怖がある。一方、韓国には戦争に対する恐怖心がある。文大統領の韓半島政策には4つの考え方がある。「なんとしても韓半島での戦争を防ぐ」「圧力とともに対話をバランスよく利用し、北朝鮮の変化を誘導する」「就任初期から北朝鮮の指導者と強い信頼関係を構築する」「韓国が韓半島問題の当事者として主導的な役割を果たす」というものだ。
 最近の韓半島情勢を巡る外交では、関係首脳間の会談が活発になっている。3度の南北首脳会談、4度の中朝首脳会談、2度の米朝首脳会談が行われた。こうしたトップダウン外交の危険性を指摘する声もあるが、相次ぐ首脳会談が、70年続いてきた葛藤を変える大きな力になったことは否定できない。特に、北朝鮮の金正恩国務委員長が首脳会談の舞台に登場したことは大きな意味を持つ。
 20192月にベトナム・ハノイで行われた2回目の米朝首脳会談では、米朝関係の正常化、平和体制の構築、韓半島の完全な非核化、米軍兵士の遺骨送還で原則合意した186月のシンガポール米朝首脳会談の具体化が期待された。非核化と制裁解除の範囲を巡る意見の違いで合意なしに終わるという展開になったが、会談以降も相互の非難や緊張が高まる事態になっていないことに注目すべきだ。トランプ大統領は会談直後、金委員長との対話継続の意思を明らかにした。金委員長も「経済発展と人民生活の向上よりも差し迫った革命任務はない」と発言している。
 文大統領もハノイ会談について、「結果としては非常に残念だが、対話を通じて重要な成果も確認した」と総括した。寧辺核実験施設の完全廃棄や部分的な経済制裁の緩和、アメリカの北朝鮮連絡事務所の設置が議論されたことだ。文大統領は米朝対話が破綻直前になった際、仲裁を通じて、対立を対話ムードに変えた経験がある。
 韓半島の平和構築に対して日本の持つ役割は非常に大きい。日本は北朝鮮の核問題に対し、圧迫中心の最も強硬な姿勢を堅持している。拉致問題が懸案になっているが、拉致問題だけではなく過去の歴史清算など北朝鮮との全般的な関係改善の中で解決の糸口を探していく必要があるのではないか。北朝鮮が核を放棄し、正常な国家となった時、安保・経済面で恩恵を受ける国、またそうなるよう助けられる国は韓国と日本だ。共通の価値、制度を持つ韓国と日本の協力は、東アジアの恒久的な平和の構築にとって非常に重要だと考えている。

 【この後、会場との質疑応答が行われた】

 Q 日韓関係が厳しい状況にある中で、G20で文大統領が来日する。

A 大阪に大統領が来るのは21年ぶりだ。大阪には多くの韓国出身者が住んでおり、観光客も多い。関西地域は百済以来、関係が深くて長い。文化交流など民間の交流を韓日関係の改善につなげたい。日本では31独立運動100年を機に反日感情が高まるという分析があったが、むしろいい関係につなげるきっかけになると考える。過去は変えられないが、未来は変えられる。

Q 徴用工をめぐる判決が日韓関係に深刻な影響を与えている。

A 根底には1965年の植民地支配を巡る認識の違いがある。韓国は植民地が違法だったとしているが、日本は合法だったという立場だ。私は、今の韓日関係は、雪が降り続いている状態だと思う。雪がやむのを待てば次は雪を片付けねばならない。そういう時期が来る。歴史問題は短期間に容易に解決できないことを双方が認識すべきだ。葛藤が起こるものは慎重に対処していかねばならない。

(堀田 昇吾=前企画委員長)

 講師略歴(講演時)=19604月生まれ。ソウル大卒、2年間の兵役を経て86年韓国日報入社、88年ハンギョレ新聞に創刊メンバーとして参加、9798年慶応大法学部訪問研究員、20012012年ハンギョレ新聞東京特派員、スポーツ部長、社会部長、民族国際部門編集長、編集局首席副局長、デジタルメディア本部長、出版局長、論説委員を歴任。13年第60代寛勲(Gwanhun)クラブ総務。1417年ハンギョレ新聞論説委員室長。14年から韓日(日韓)フォーラムメンバー。17年ソウル大日本研究所客員研究員、政策企画委員会委員。1757月国政企画諮問委員会諮問委員、同712月韓日間の日本軍慰安婦被害者問題に関する合意検討タスクフォース委員長。184月第18代駐大阪大韓民国総領事。