感受性の豊かな子どものうちに 日本の伝統芸能に触れることが大切と感じる

247回 2017424

シテ方観世流能楽師
大槻 文蔵 氏
「伝統文化と時代」

能と狂言を併せて能楽と言う。能は舞を中心として面を使用するのが特徴で、いわば仮面劇だ。役者は四つのグループに分かれる。主役を務めるシテ方、シテの相手役であるワキ方、物語の説明役であり、もり立て役の狂言方、そして笛、小鼓、太鼓などの囃方だ。
まず、能の歴史を紹介したい。日本では古来、田植えやお祭りなどの際に田楽という芸能が演じられていた。奈良時代から平安時代に中国大陸から散楽、伎楽、雅楽が入ってきた。それらが融合してできたのが能楽といわれている。室町時代に観阿弥と世阿弥の親子が今のような形に集大成させた。
先ほど能は仮面劇だと話した。歌や踊りがあるので、若い人に説明するときには「室町ミュージカル」と表現している。現代の演劇は、1819世紀にヨーロッパで興った近代的なスタイルが主流になっている。世界を見渡せば仮面劇の方が圧倒的に多いのに、残念ながら隅に追いやられている。
能面には翁、般若、今若、顰(しかみ)などさまざまな種類があり、ほとんどがヒノキ製。600年以上経つものもある。面をつけるのはシテ方だけ。亡霊や神、鬼といった特殊な性格を持つ役に使う。
演目は神(しん)、男(なん)、女(にょ)、狂(きょう)、鬼(き)の五つに分かれる。修羅物とも呼ばれる男では、武将の亡霊などが現世に救いを求めて現れ、回向した僧侶に弔われる。言い換えれば能は心理劇。誰もが深層心理に鬼のような部分を持っている。普段は抑えているが、それがわっと出てくると鬼として表現される。
能には「安達原」や「隅田川」といった有名な作品があるが、多くの人は難解だと言う。しかし、何回か見ているうちに慣れてくる。感受性の豊かな子どものうちに日本の伝統芸能に触れることが大切と感じる。文化庁の事業で全国各地の小学校などを巡回して能を見せたり、子どもたちを舞台に上げたりする取り組みを行っている。高度な技術を持った後継者の育成も重要課題である。
演じられなくなった曲を復活させる「復曲」にも力を入れている。能の演目は約2000あるが、650年の歴史の中で埋もれたものも多く、現在演じられているのは250程度。いい作品を掘り起こそうと、30年ほど前から復曲に取り組んでいる。
最後に世阿弥の言葉を紹介したい。有名な「初心忘るべからず」には続きがある。「時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず」。若いころの失敗を忘れず、中年になっても老年になっても、新たな試練に慎重に対応しなさい、という意味だ。
もう一つは「離見(りけん)の見(けん)」。自分はちゃんと舞えているのか、お客さんの目で自分を見なさい、つまり、常に自分を客観的に見る努力をしなさいということ。世阿弥はこの言葉を大変やかましく言っている。私の好きな言葉でもある。
(小林 由佳)

講師略歴(講演時)=1942年、大阪の観世流能楽師・大槻秀夫氏の長男として生まれた。祖父の大槻十三氏と父に幼いころから指導を受け、4歳の時に「鞍馬天狗」の稚児役で初舞台を踏み、19歳という異例の若さで、若手の登竜門とされる「道成寺」を演じた。「卒塔婆(そとば)小町」「檜垣(ひがき)」「関寺(せきでら)小町」「姨捨(おばすて)」そして2014年に「鸚鵡(おうむ)小町」を演じ、能の最高秘曲の「老女物五大大曲」を完演。169月、重要無形文化財の保持者(人間国宝)に認定された。能楽師として自らの芸を極めるだけでなく、約700年にわたる能楽の歴史を深く研究し、廃曲とされていた曲に着眼し、研究者と共に「復曲」、また「新曲」にも取り組んできた。1985年に、世阿弥の自筆本に基づいて復曲した「松浦佐用姫(まつらさよひめ)」は、今は現行曲として定着するなど、約30作の復曲を手掛ける。また、能楽堂(大槻能楽堂、大阪市中央区上町)の理事長として企画運営もし、「愛」や「別れ」など、テーマにそった連続公演や割安な料金、観劇しやすい公演時間など様々な工夫によって、能楽ファンの拡大に努めている。今年3月には、日本芸術院賞に選ばれた。