ピンチでいかに投資できるかが大事だ


定例会の模様をYoutubeにアップしました。

第273回 2020年8月5日
くら寿司株式会社代表取締役社長
田中 邦彦 たなか くにひこ
「進化を続ける回転寿司と新時代の外食産業に求められるもの」

 
 にぎりずしの歴史は古く、江戸時代にまでさかのぼる。全国に広まったきっかけは、1923年の関東大震災という説があるが疑わしい。今のようにカウンターでにぎりをつまむのが広まったのは戦後だ。鮮魚の流通に欠かせない高速道路網が広がり、冷凍・冷蔵技術が高まった。以来、外食のビジネスは大きく変わった。いま、新型コロナウイルスで、今後1~2年の間にもっと変わるだろう。

 私は84年に回転ずしの店をオープンした。その前は酢の会社の営業マンだった。すし屋を回る傍ら、はやっている店はどんな酢を使っているのか、最高のすし酢とは何かを探求していた。
 くら寿司は原酢に昆布、砂糖を加えて、独自のすし酢をつくっている。なぜか。しゃりにこだわるからだ。コメの作柄は不規則で、当然、使う酢も変わる。大きなチェーンではうちだけだろう。しゃりは週2回、全国の店から工場に取り寄せ、味をチェックしている。
 私はわくわくする店、存在感のある店にしたいと思っている。そのためには何が必要か。明解なコンセプトだ。例えば、四大添加物は使わないと唱えている。というのも、世界に数ある食事の中で何が最高か。英国の脳外科医の話だが「それは戦前の日本の食事」という。良質なたんぱく質を新鮮な魚から摂り、目の前の畑の無農薬野菜を食べる。我々もビジネスを通じ、祖先の遺産を大事にしようと考えている。
 米国、台湾に店を出した理由もそこにある。和食を通して世界に貢献しようと。でも、それが出来るのは高級料亭ではない。価格が高く、コメの調理・品質保持が難しいからだ。世界的なチェーンは欧米のファストフードばかり。和食では、われわれだけだと自負している。
 そのために色々と工夫を重ねてきた。回転するレーンは元禄ずしが1958年に開発したが、我々も独自に改良を続けてきた。例えば、衛生面を考え、調理室とお客さんが食べるフロアを完全に分けたE型レーンを開発。また、食べ終わった一定数の皿を水回収システムに入れると、ゲームができ、景品がもらえる「ビッくらポン」という仕組みを導入した。これが、子どもたちに喜ばれ、主要な顧客層に育った。米国進出もこの仕組みが評価されたからだ。

 2011年に導入した防菌寿司カバー「鮮度くん」にも独自の工夫がある。過去のカバーは、手あかがつきやすく不衛生だった。すしも見えにくかった。そこで、カバーを触らずに皿の手前を少し持ち上げれば、皿が取り出せる仕組みを考えた。今のコロナ禍でも、ウイルス、飛沫防止の有効な対策になっている。次はスマホで受け付け、入店から支払いまで、非接触型の店舗を開発している。ピンチの時にいかに投資できるかが大事だ。
 我々のビジネスには新鮮な魚介類が欠かせないが、日本の漁業は危機的な状況だ。かつて1千万㌧あった漁獲量は500万㌧にまで減った。うち養殖が2割を占める。漁獲高が減れば、後継者も減る。先人の遺産でもある天然魚が危うい。われわれは100超の漁港と提携している。漁業者と年間契約し、採れた魚すべてを買い取る「一船買い」の取り組みも行っている。我々には加工するノウハウ、販売力が求められるが、漁業者の経営は安定する。
 漁業資源の保全も呼びかけている。漁協ごとに年間の漁獲量を制限してはどうかという提案だ。欧米では漁業者ごとに制限をかけるのが一般的だが、日本は同じ漁場で同じ漁協の漁師が競い合っている。漁業資源は有限だ。ノルウェーでは、この取り組みでサーモンの価格が安定し、漁業者の収入も安定、後継者も確保できている。こうした将来に向けた取り組みも広げていきたい。(前企画委員・多賀谷 克彦) 

ゲスト略歴(講演時)=1951年1月岡山県総社市生まれ。73年桃山学院大学経済学部卒業後、醸造酢メーカーに入社。77年に退社後、大阪府堺市に寿司店を出店。84年に回転寿司業界に参入。寿司の握り方や包丁の持ち方、経営学、チェーン店化の理論まで独学で学ぶ。95年に株式会社くらコーポレーション(現くら寿司株式会社)設立、代表取締役社長に就任。2019年に米国子会社であるKura Sushi USA, Incをナスダック市場に上場。趣味は釣り。暇を見つけては、日本海や和歌山方面に出かけて釣り糸を垂らす。