2015年夏季会員懇談・交流会 「高校野球100年を迎えて」


関西プレスクラブ会員懇談・交流会が2015827日、追手門学院大阪城スクエア(大阪市中央区)で開かれ、会員約100人が参加した。

 懇談会では全国高校野球選手権大会が100年を迎えたことに合わせ、甲子園出場5回の野球解説者の荒木大輔さん、日米の野球に詳しいノンフィクション作家の佐山和夫さん、高校野球の実況中継で活躍するNHKアナウンサーの小野塚康之さんによる鼎談「高校野球100年を迎えて」を開催し、3氏は高校野球の魅力について語り合った。この後の交流会では、プレスクラブ会員がゲストの3人を囲んで生ビールや日本酒のグラスを傾けた。
 鼎談で佐山さんは、高校野球の全国大会が始まった意義について「それまで各地にいろいろな大会があり、試合の終わり方も決まってなかった。全国大会によってルールが統一され、安心して取り組める機運を全国に巻き起こした。第1回大会から変わらないのは試合前のあいさつと、終わってからのあいさつ。ベースボールはああするものだという形が出来上がった」と説明した。
 大会を彩ってきた甲子園の「怪物」や「アイドル」について佐山さんは、「スター選手が見せるパフォーマンスはまぎれもなくその人の実人生、実時間だ。見ているこちらも同じ時間を共有したという心地になり、選手のその後の人生までずっと見たくなる」とし、虚構の役柄を演じる映画のスターとは違い、野球のスターは、永続的な感動を見る者に与えることを強調した。
 自らが甲子園の「アイドル」だった荒木さんは、「兄が甲子園に出た時にアルプススタンドで試合を見て、この下でプレーしたいと思った。実際にプレーして、本当に気持ちがよかった。スタンドが『完全アウェー』でも、周りに仲間がいるので不安もなかった。いつまでも仲間と野球をしていたいと思える、楽しい場所だった」と、アイドルとして追いかけられる日々で、甲子園のマウンドが唯一、心身を解放できる場だったと打ち明けた。
 小野塚さんは、延長戦が高校野球の大きな魅力だとし、「たとえば、箕島―星稜戦。転倒しての落球があったり、隠し球にあった選手が同点ホームランを打ったりと語り尽くせない。両チームが同じように力を発揮した時に名勝負になる。ファウルボールを落とした(星稜の)加藤選手はセールスマンになり、『ボールを落とした加藤です』と言って仕事にも役に立てたとの後日談もある。つらいときにも、高校野球は将来の人生の成果を与えてくれる」と述べた。
 荒木さんは「高校野球は11戦戦う中で選手が成長する。2007年夏に優勝した佐賀北は、引き分け再試合や延長サヨナラ勝ちで勢いづき、決勝も40から逆転した。監督に取材すると、『ファンの人が応援したくなるチームになろうと教育している』と話し、選手たちも試合をしながら監督の目指すチームになったと感じ、ファンから力をもらえたと言っていた」とし、応援するファンの声援が選手を成長させ、名勝負を生み出していることを強調した。
 また、100年続く高校野球を変えた出来事として、3氏はそろって1974年の金属バット導入を挙げた。小野塚さんは「衝撃を与えたのは、導入から78年たった時の池田高校で、その対応はすばらしかった。今後、どうなっていくか注目される」と、パワーヒッティングが攻撃の主戦法となっている点などを説明。佐山さんは「われわれの時代、怪物投手といえば、豪速球。変化球としてカーブが一つあるぐらい。いまはそれでは通用しない。落ちる球とかが必要。理由はバッティングマシンで打撃練習を多くできるようになったこと。そして金属バットの導入だ。当たれば前に飛ぶので、かわすピッチングになっていった」と、投手側の変質にも言及した。
 最後に、3氏は高校野球のこれからについて語った。
 佐山さんは「日本では高校3年間で『フェアに』『チームプレーを』『基本に忠実に』とすり込まれる。日本の野球がクリーンさで世界の野球を浄化している。今後も、日本の役割はますます大きくなると思う」とし、高校野球がアメリカのベースボールなど世界の野球に好影響を与え続けていくと断言。
 小野塚さんは「神と魔物を見た試合があった。野球の流れからすると、こんなこと起きるのか、と。神様だと受け止めたり、魔物だと受け止めたりする高校生の心(が生んだ)ということだろう。高校野球は、どんどん時間がたっても私たちの近いところにある」と、甲子園での実況30年を踏まえた実感を述べた。
 また、荒木さんは「高校野球は選手の全力プレーが多くのファンを引きつける。そういう姿を目にした時、高校野球は永遠だと思う」としめくくった。
(臼倉 恒介、牧 真一郎、常松 健一)
 

講師略歴

荒木 大輔(あらき・だいすけ)氏
1964年生まれ。小学6年、調布リトルリーグで世界一に輝く。早稲田実業に進み、80年夏の甲子園では、1年生ながら準決勝まで4試合連続で完封。44イニング13連続無失点を記録し、決勝では愛甲(ロッテなど)を擁する横浜に敗れ準優勝に終わるも、その人気は全国に「大ちゃんブーム」を巻き起こした。高校3年間で甲子園には5回出場し、戦後では歴代3位の通算12勝をマーク。プロ野球ヤクルトにドラフト1位で入団し、5年目には10勝をあげ、92年には14年ぶりのリーグ優勝に貢献。翌年は8勝をあげて日本一にも輝いた。96年現役引退、西武やヤクルトで投手コーチを務め、現在はNHK野球解説者。
佐山 和夫(さやま・かずお)氏
1936年、和歌山県生まれ。慶応義塾大文学部卒。会社員、高校教諭を経てノンフィクション作家に。84年、「史上最高の投手はだれか」(新潮出版)で第3回潮ノンフィクション賞、和歌山県文化奨励賞。93年、「野球とクジラ」(河出書房新社)で第4回ミズノ・スポーツライター賞。95年に米ホフストラ大学でのべーブ・ルース学会で「ジョセフ・アストマン賞」、98年にアメリカ野球学会(SABR)の「トウィード・ウェッブ賞」。著書はほかに、「ベースボールと日本野球」(中央公論社1998)、「明治5年のプレーボール」(NHK出版)、「古式野球――大リーグへの反論」(彩流社2009)、「1935年のサムライ野球団」(角川書店2015年)など、日米の野球をテーマに多数。
小野塚 康之(おのづか・やすゆき)氏
1957年、東京生まれ。東京育ち。学習院中・高・大卒。80年、NHK入局。鳥取、金沢、札幌、大阪、東京、福岡、広島など各地の放送局を経て、神戸放送局勤務。専門分野はスポーツ実況で特に野球。アトランタ、長野など5回のオリンピックを実況。甲子園実況は30年目を数え、多くの決勝戦を担当、沖縄商学・沖縄勢甲子園初制覇(選抜)、駒大苫小牧・北海道勢初の日本一(選手権)、佐賀北ガバイ旋風で優勝――など球史に残る試合を伝えた。「野球がなければ生きては行けない」と、自ら言う。著書に「『甲子園』観戦力をツーレツに高める本」(中公新書ラクレ 2015)。