上方舞の楳茂都梅弥月さんと 邦楽演奏の菊央雄司さんが公演 「コロナ禍で引きこもり古典研究」 菊央さん 「コメ作りで芸能のもとを知る」 梅弥月さん

 
 関西プレスクラブの会員交流会が12月3日、大阪工業大学梅田キャンパス「常翔ホール」(大阪市北区)で開かれた。ゲストは邦楽演奏家の菊央雄司きくおう ゆうじさんと、上方舞の楳茂都梅弥月うめもと うめみづきさん。大阪を地盤に日本の伝統文化を継承する若手2人が、「地唄」「地唄舞」とよばれる上方中心の三味線音楽や歌、舞踊を約2時間にわたって披露し、会員らを魅了した。合間のトークショーでは、コロナ禍で公演が開けない毎日、それぞれ古典の研究にいそしんでいたことも明かした。会員交流会はコロナ禍などで延期が続き、昨年10月以来の開催となる。
 冒頭、菊央さんによる琵琶の音と声がホールに響き渡った。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」。平家物語の冒頭をゆっくりと語り上げる。

菊央雄司さんの「平家琵琶」は、しだいに哀調を帯びる。

 目の不自由な琵琶法師が琵琶をかき鳴らして平家物語を語る「平曲」は、鎌倉時代の13世紀に成立し、江戸時代に隆盛を極めたとされる。約800年にわたって伝承されてきたが、いまこれを継承する人は、愛知県在住の今井勉さんただ一人となった。菊央さんは今井さんから指導を受けることもあるといい、仲間の演奏家と研究会を立ち上げ、技能の伝承に力を注いでいる。
 菊央さんが邦楽の道に入ったのは12歳のとき。もともとはフルートを演奏していたが、五線譜を読むのがつらく感じ始めたころ、三味線の「ビーン」という音に心を奪われたのがきっかけだと菊央さんはいう。2001年に102歳で亡くなった地唄の人間国宝・菊原初子さんは大師匠にあたり、厳しい指導を糧に精進を重ねた。
 海外公演、テレビドラマの三味線指導など、芸歴を重ねるさなか、コロナ禍が襲った。公演はキャンセルとなり、弟子の稽古もオンラインになった。その間の過ごし方について、菊央さんは「引きこもっていた」。あり余った時間は、古典の読み直しと研究にあてたという。地唄の節回しが大阪弁のイントネーションの名残であることなど、新たな発見もあった。

「黒髪」を舞う梅弥月さん。後方は三絃をひく菊央さん


 壇上の菊央さんが琵琶を三味線に持ち替えると、今度は梅弥月さんの出番だ。地唄舞の中でも「艶物」とされる「黒髪」を情感込めて演じた。
 地唄舞は、江戸時代後期に上方の座敷で披露された舞踊。楳茂都流は上方舞四流の一角とされ、約200年の歴史がある。能や人形浄瑠璃の動きを取り入れたという優美な動きに、会場はきらびやかな雰囲気に包まれた。

舞の時とは全く違うにこやかな表情で弟子の中畠舞子さん(中学2年、左)を紹介する梅弥月さん


 梅弥月さんはこの日、弟子の中学3年生、中畠舞子さん(15)をステージに立たせ、地唄舞の基本動作をわかりやすくレクチャーする即席のワークショップも開いた。足の動きの「土台」をマスターするのに3か月はかかるという。気の遠くなりそうな道のりだが、「すぐに踊れないからこそ面白いんです」と笑った。

弟子の中畠舞子さん(左)をモデルに地唄舞の基本を披露する梅弥月さん


 梅弥月さんと地唄舞の出会いは2歳のころ。母親が梅弥月さんをおんぶしながら踊りの稽古を受けるうち、梅弥月さんを床に下ろすと踊り出すようになったという。2年前に亡くなった楳茂都梅咲(うめさき)さんの厳しい指導も受け、芸に磨きをかけた。
 コロナ禍では、一切の舞台がなくなり、梅弥月さんは家族で淡路島への移住を決断。自然農を学んだ夫と自給自足の生活を始めた。稲を素手で植え、素手で刈る暮らしを続けながら地唄舞の所作を考えていると、「コメ作りが芸能のもとになっている」と実感した。

 

淡路島で農作業をする梅弥月さん(トークショーでのスライドから)

 梅弥月さんのいまの夢は、「古典の復活」だ。楳茂都流には、踊りの振りを記した「舞踊譜」が900点以上伝承されているが、いまでは解読できる人材がいなくなったという。そこで流派で研究会を立ち上げ、筆で書かれた文字の解読を進めている。「こうしたら格好よく見える、きれいに舞えるという日本文化の『型』が残っている。いわば、ご先祖さまの苦労の結晶。踊ることで、ご先祖さまを感じることができる」と、梅弥月さんは言葉に力を込める。
 交流会の最後は地唄舞の代表曲である「雪」。過ぎ去った恋人を思う心と悟りをしんしんと降る雪に託した作品だ。はかない恋心を梅弥月さんの舞いと菊央さんの三味線の音色で表現すると、会場は拍手に包まれた。

トークショーでは、コロナ禍での伝統文化の継承について話し合った(左から佐々木洋三さん、梅弥月さん、菊央さん)

 モデレーターを務めたプレスクラブ特別賛助会員の佐々木洋三さんによると、1970年の大阪万博のときには大阪、京都花街の芸妓衆がステージで舞いを披露して、伝統芸能の美しさをアピールした。2人は2025年の大阪・関西万博でも「大阪の文化を伝えたい」(菊央さん)と意気込む。コロナ禍にありながら上方の伝統文化の伝承に心を砕いてきた若手が、その成果を披露するのにぴったりの大舞台だ。
 新型コロナの国内感染状況は小康状態にあるとはいえ、観客を集めた演奏会はまだ少ない。新しい変異株「オミクロン株」が世界的な広がりも報じられるなか、交流会の会場では客席に十分な余裕を持たせるなど、徹底した感染対策が取られた。(堀口 元)

楳茂都  梅弥月(うめもと・うめみづき)さん
日本舞踊・上方舞  楳茂都流名取・師範  公益社団法人日本舞踊協会会員
母親の影響で2歳より日本舞踊(上方舞)を学び、6歳で本舞台をふむ。楳茂都梅咲弥氏に師事し、2002年に楳茂都梅弥月の名をゆるされ、2004年なにわ芸術祭「新進舞踊家競演会」地歌「梅」にて新人奨励賞受賞。2016年東京国立劇場主催「伝統芸能の魅力」出演。平成29年30年度アーツサポート関西助成対象アーティストに選ばれ「楳茂都流型付研究会」を主宰し、大阪歴史博物館とタイアップしながら、流派独自の「型付(=振付け書)」の解読に励む。また近頃は、モダンダンサー「miduki」として、数々のアーティストやミュージシャンとコラボレーション。

菊央  雄司(きくおう・ゆうじ)さん
生田流箏曲、野川流三絃、上方系胡弓、平家琵琶 演奏家
人間国宝故菊原初子の後継者菊原光治師に12歳で入門。上方胡弓を菊津木昭師に師事。野川流三味線本手組歌及び古生田流箏組歌、両巻を伝受。地歌舞地方として舞台やTVに出演する等、地歌三味線の伝統を承継しながらも現代邦楽やオペラ、和太鼓等とも共演をする新しいスタイルでの演奏にも目を向け、韓国、ヨーロッパ各国等でも公演。NHK大阪放送局制作朝の連続ドラマ「おちょやん」にて三味線指導。長谷検校記念第6回全国邦楽コンクール最優秀賞、他受賞歴多数。

【モデレーター】佐々木  洋三(ささき・ひろみ)さん
Office Salud!代表、関西プレスクラブ特別賛助会員
 1981年サントリー入社。社長室、経営企画部などを経て関西経済同友会代表幹事スタッフ、サントリー秘書役などを歴任。06年大阪21世紀協会(現関西・大阪21世紀協会)出向、10年同協会理事・事務局長、13年6月同専務理事に就任。14年5月に「アーツサポート関西」を立ち上げた。同協会とサントリーを退いた後、20年5月OfficeSalud!設立。オンライン人形浄瑠璃、若手落語会などコロナ下で伝統芸能・文化を支援する事業を企画・運営している。