関西プレスクラブの新年会員交流会が1月28日、会員、招待者ら約100人が参加して大阪市北区のヒルトン大阪で開かれ、歌舞伎俳優の中村壱太郎さんが「受け継ぎつなぐ上方歌舞伎」のテーマで講演した。聞き手を演劇記者の坂東亜矢子さんが務めた。壱太郎さんは、上方歌舞伎と江戸歌舞伎の違い、名門を受け継ぐ心構えなどについて率直に語るとともに、「伝統は攻めてこそ守られる」と自らが信念とする言葉を強調。台本の創作や野外での公演など新しい分野に取り組む「攻め」の活動も紹介し、「歌舞伎への様々なニーズがある中で、規格外の発想も必要ではないか」と述べた。
講演の後、壱太郎さん、坂東さんも参加して懇親会が開かれ、壱太郎さんの前には、上方歌舞伎の未来を託す逸材と言葉を交わそうと、多くの参加者が列をつくった。
□ 好きでこそ演じる □
坂東 本日のテーマは「受け継ぎ、つなぐ上方歌舞伎」です。伝統と継承についてうかがう前に、「上方歌舞伎」とは何か、ご存じない方も多いでしょう。
壱太郎 昨日まで、難波の大阪松竹座で初春大歌舞伎に出ていましたが、道頓堀を歩いている同年代の若い人にとっては「歌舞伎って何?」でしょう。隈取りをして見得を切っているイメージでしょうか。歌舞伎は大きく二つのジャンルがあり、江戸歌舞伎と上方歌舞伎に分けることができる。上方歌舞伎は、江戸歌舞伎に比べると庶民的な話が多いのも特徴です。
坂東 上方歌舞伎は大坂の風土と相まって発展していった。江戸は武家社会、上方は町民文化がそれぞれ土台にある。
壱太郎 そう。商人の文化です。例えば、油屋、魚屋、酒屋など商人の関わるお芝居が多い。酒屋という芝居は、今の谷町九丁目あたりがまさに舞台。今でも地名が残り、地域に根付いている。江戸歌舞伎は大きく見得を切って、様式的、形式的なものが多い。一方、上方は写実のお芝居が多く大事に演じています。
坂東 4歳で初舞台を踏み、記憶に残っていることは。
壱太郎 1歳ときが初お目見えでした。記憶にはありませんが、怖いことにビデオが残っており、見るとよちよち歩いているだけ。役をやるような歳でもなく、本名の林壱太郎でした。中村壱太郎の芸名で出たのが4歳のころ。実はそんなに記憶がないんです。写真を見て思い出すぐらい。ちゃんとやっていたんですかね?
坂東 しっかりとやってましたよ。
壱太郎 公時の役でした。その年齢から舞台に立てるのは、この家系に生まれたからこそ。中村鴈治郎家の直系5代目。歌舞伎界では片岡仁左衛門のおじさまが15代目ですから、家としては実は若い方です。中村壱太郎として今月で25年目になりました。
坂東 幼いころから舞台に立ち、疑問に思ったことはありませんか。
壱太郎 現代劇は休演日がありますけど、歌舞伎の公演は休みなし。毎日毎日、昼と夜とそれぞれ表現の異なるものを演じていると、化粧しているときにふと思う。同じ演目でも毎日、舞台が変わっていく。お客さんと面と向かって、同じ時間と空間でしか味わえないことが舞台にはこもっている。レベルはもちろん一定ですけど、客席の反応、自身の体調のよしあしなど、いい意味で浮き沈みを感じ、作り込みができる。ここまで好きでやってこられました。一番ありがたいことと思う。
坂東 歌舞伎役者以外の道を考えたことは。悩みはなかった?
壱太郎 7年前に大学を卒業し、学生のころは歌舞伎とともにいろんなことを学んできた。やってみたいことはあったけど、主軸は歌舞伎だったんですよ。嫌いにはならなかった。父も祖父も強制しなかったことが大きく、大学までいろんな世界を見られる機会をもらえたのはうれしかった。
坂東 歌舞伎のどういうところが好きで続けてくることができたのでしょう。
壱太郎 自分の仕事を生で見てもらえるのが一番ですね。歌舞伎でなくても、このような対談も好きだし、現代劇に出るのも好き。この今しかない瞬間を共有できるのがいいんですね。歌舞伎は男性のみで演じているが、性を超えて演技ができる。私自身は年間を通して女性の役が9割方。娘や奥さん、お嬢さん、お母さんなどさまざまに演じることが楽しい。それが好きな要因です。
坂東 若いときから大役に恵まれ、19歳で曽根崎心中のお初を演じた。
壱太郎 祖父が1300回以上演じてライフワークになっている役で、いつか演じたいと思っていました。ただ、自分がどれだけ願っても、やりたいだけではできない。思い続けていると、かなうんだと思った最初の役です。それは祖父や父のおかげ、諸先輩が認めないとできない。いつかやりたい夢のような役と、目標にする役の二つのうち、前者だった。19歳のときにかなったのは、転機になりました。
坂東 いつかやりたい役は他には?
壱太郎 上方歌舞伎には埋もれている作品が多い。今月も九十九折という芝居を45年ぶりに復活したのですが、映像が残ってないんです。昔の台本と劇評を基につくりました。そこには舞台の装置も書いてある。上手には八畳間があって、床の間には掛け軸があってというように。文字から想像して舞台に再現する。
□ 玉三郎さんの教え □
坂東 古典として受け継がれている作品にも挑んでいる。昨年は歌舞伎三姫に数えられる、金閣寺の雪姫に挑み、坂東玉三郎さんから指導を受けた。
壱太郎 雪姫は八重垣姫、時姫と並ぶ歌舞伎の三姫。お姫様は最高級の役なんですよ。何百万円もかかるようなあつらえの衣装を着ることだけでも幸せです。昨年12月に京都で演じました。衣装の重み、かつらの重みが違う。配役の大きさに込められているんですね。
玉三郎さんは昨年、高松宮殿下記念世界文化賞を受けられました。3年前から習う機会が多く、18年1月の松竹座の正月公演もご一緒させていただきました。女形で、踊り、芝居、姿、声の全て見習うところばかりの方です。
稽古では「右足から出て、手は胸に」といったようには教わりませんでした。雰囲気です。例えば「父の敵を見つけた思いを込めて、強い思いで行きなさい」とか。「ビデオを一挙手一投足まねしなくていい」とも。究極は「龍が見える目線を使いなさい」といわれる。どうやってやるんですか、と問うと「分かるでしょ。見えるでしょ」と。
役にどれだけ成りきれるか、役者の性根というのでしょうか。歌舞伎はうその世界だが、うそが真に見えたときが本物だ、と。「日ごろの修業が大事。今できたら苦労しない。今はできなくていい。今後につながる。それを覚えておいてほしい」とよく言われる。何年後かに生きてくるだろう。師と仰いでいます。
坂東 雪姫のほかにも、河庄の小春や女殺油地獄のお吉と、最近、大役が波のように次々と押し寄せています。毎月、試練が待ち受けている感じですか。
壱太郎 波乗りだったら、ビッグウエーブ続きでしょう。乗れるか否かは日ごろの稽古次第だし、いろんな種類の波がある。松本幸四郎さんや片岡愛之助さん、中村獅童さんと相手役によっても違う。その面白さがあるから、プレッシャーにはなりません。
東京・新宿の歌舞伎町で歌舞伎をすることになり、プロレスのリングが舞台になったこともあります。後ろからも見られ、うそが通じない舞台で苦労しました。女形は相手役より背を低く見せると男が立つといわれます。「背を盗む」といいます。前にいるお客さんの目を意識して、膝を折ったり、肩を落としたり、斜めに立ってなで肩に見せたりするのもそう。後ろからの目線に対して通用しないのがつらかったですね。
□ 「攻めて」守る伝統 □
坂東 昨年、「夏休み! 歌舞伎自由研究」で脚本・演出・振り付けに取り組み「四勇士」を東京で上演。創作活動にも意欲的ですね。
壱太郎 母は日本舞踊の吾妻流で、23歳のときに家元を継ぎました。舞踊の振り付けができ、役者なので出演することもできる。子どもたちのために歌舞伎をつくって、1週間稽古して舞台をしようと。四勇士は子どもたちが喜ぶかと思い、テレビゲームのドラゴンクエストを題材にしたところ、今の子たちはドラクエではなかったんですね。見落としていました。その分、親御さんたちが喜んでくれましたよ。遊び心を持って楽しんで創作した。芝居やミュージカル、現代劇を観賞し、やってみたいなと思うことを常に考えている。
坂東 伝統芸能は、継承と創作の両輪が必要。伝統は攻めてこそ守られると、色紙によく書かれますね。
壱太郎 コース料理が基本の一流ホテルでビュッフェスタイルを取り入れた、帝国ホテルの元料理長村上信夫さんの言葉です。中高生のころテレビで見ていて拝借しました。いろんなニーズがあり、値段も安くはない。歌舞伎もそう。どう乗り越えていくか。規格外の発想も大事でしょう。
坂東 おじいさま、お父様からはどんな教えを。
壱太郎 どういう家庭かとよく聞かれます。父とは、家ではため口で普通のお父さん。祖父は家でもなぜか敬語。父は男役で、習う機会が少ない一方、祖父は女形を習う前から接することが多かったからでしょうか。
祖父は事細かに教えてくれません。曽根崎心中のお初は、1時間40分ほとんど出ずっぱりの大役なのに、キセルを持つにしても「何となくしといたらいいから」と。いい意味で雰囲気です。あいまいさが上方歌舞伎の面白いところ。19歳の当時はちゃんと教えてくれよ、といろいろ聞くが、ほんわかとした答えしか返ってこなかったですね。父はリハーサルを見て客観的なアドバイスをくれます。
坂東 鴈治郎12局というお家芸があります。どのように思いを寄せていますか?
壱太郎 歌舞伎十八番といえば、江戸の成田屋。今の市川海老蔵さんの家の芸です。うちの成駒屋は上方で12作ある。もちろんやっていきたい。祖父の舞台を見ると、いい意味での抜き感、あいまいさができるようにならないと難しいですね。私は東京出身なので、普段は標準語。舞台では今の関西弁とは違う上方言葉ですが、自由に使えて相手が何を出してもぱっと返せるように深くナチュラルになってこそできると思っています。
坂東 上方歌舞伎の家に生まれてその使命を背負い、今後の展望、目標は。
壱太郎 受け継ぎたいと思っても、上演される場所がないとかなわないものです。松竹座のような大きい劇場だけでなく、上方歌舞伎の舞台が一作品でも上演できれば、身近に感じてもらえるのではないでしょうか。歌舞伎は東京中心で毎月ある。毎月も大事だが、意味を持って伝えていくには半年ぐらいがベストではないでしょうか。300人の歌舞伎役者のうち上方は1割いるかいないか。火を絶やしてはいけない。上方の女形の役を担っていかないと。
お初は今すぐにでも演じたい。祖父が受け継いできたことも大きいし、お初天神は今もあり、賑わっているし、あそこであった話しだよ、と伝えることができる。近松門左衛門は歴史の教科書に載るほど有名な作家です。注目ポイントがたくさんあるからこそ上演したいですね。(宮田 一裕)
【ゲスト略歴(開催時)】
中村 壱太郎(なかむら・かずたろう)さん
1990年8月生まれ、祖父が人間国宝の坂田藤十郎さん、父が中村鴈治郎さんという、歌舞伎の名門の後継者。4歳で初舞台を踏み、19歳のときに祖父の藤十郎さんの当たり役、「曽根崎心中」のお初を演じた。演目のお初は19歳の設定で、同い年のヒロインを見事に表現したことで評判となる。2014年日本舞踊吾妻流の七代目家元を襲名し、吾妻徳陽を名のる。女形を主にこれからの上方歌舞伎を背負う存在として期待を集めている。
坂東 亜矢子(ばんどう・あやこ)さん
大阪市出身。大阪日日新聞社文化部勤務を経て、フリーランスの演劇記者として活動。日本経済新聞、雑誌「演劇界」などに劇評や演劇に関する記事を執筆している。片岡秀太郎の芸談本『上方のをんな』(アールズ出版)の構成を担当。片岡愛之助の自叙伝『愛之助日和』(光文社)の編者。