2014年会員懇談交流会 「大坂の陣400年」を語る有栖川有栖氏、玉岡かおる氏

夏の恒例イベントとなった2014年関西プレスクラブ会員懇談交流会が828日、作家の有栖川有栖氏と玉岡かおる氏をゲストに迎え、追手門学院大阪城スクエアで開かれ、会員約130人が参加した。
13年~14年は「大坂冬の陣・夏の陣」から400年になることから様々なイベントが行われているが、懇談会では関西に在住している有栖川氏と玉岡氏に、作家の視点から歴史を振り返りながら、関西の現状と近未来を語り合ってもらった。
この懇談交流会は、関西プレスクラブのマスコミ会員と企業・大学などの賛助会員との異分野交流を進めるのが目的で、2007年から毎年8月末に開催。普段はあまり接触機会のない会員と、暑気払いをかね、生ビールを片手に名詞交換する場を提供してきた。
今年は、有栖川氏、玉岡氏の新刊書などを交流会場で販売。両氏は会員の求めでサイン(写真)に応じていただいた。

[対談の発言概要]

★有栖川有栖氏★
大阪育ちなので、大阪城は子供の頃から身近にあるもの。10年ほど前に城の町内に引っ越してきてなおさら興味がわいた。オリジナルの大阪城は炎上し、現在の大阪城は昭和6年に鉄筋コンクリートで作られた日本初の復興天守。中には、エレベーターなどもあり、がっかりする人もいる。だが、壮大な滅びを経験していることがむしろ面白い。国宝の姫路城は立派だが滅んだことがない。城は焼け落ちてこそドラマや詩をまとう。
再建のために民間の企業や市民が当時のお金で150万円、現在の貨幣価値で600億円もの資金を集めたそうだ。勝手に作りますからお上は邪魔せんといて下さい、というところがいかにも大阪らしい。そういう佇まいが大阪そのものを映している城だと思う。
大坂の陣の後、徳川は大阪の民衆が大好きな豊臣の石垣を意地でも埋めようとした。このトラウマで、大阪の人は真田の抜け穴だとか埋蔵金だとか、大阪城の地下には何かがあると期待している。その気持ちはよくわかる気がする。
秀吉、家康、信長を比べると、信長はブラック企業の経営者のようで怖い。家康はひたすらにつまらない。同族企業のオーナーで、学問は好きだが文化や芸術には何の興味もたない。今の日本人の矮小さは徳川が作ったのでは。
その点、秀吉は親しみやすい。出自や容貌に恵まれず、そのコンプレックスをエネルギーにして天下人にまで駆け上った。明るくて陽性の人気者だが、晩年に影が差す。56歳で秀頼が生まれると、この子に後を託すために理性を失っていく。大陸に出兵するなど誇大妄想も抱く。ある時期から秀吉は狂っていたのではないか。
淀殿と北政所の仲が良ければ関ケ原の戦いもなく、豊臣は徳川に対抗できた。淀殿を愚かな母という人もあるが、これほど大切なものを奪われ続けた人はなく、息子だけは守りたいと頑なになった。この気持ちは理解できる。(坂本充孝)

★玉岡かおる氏★
私は播州人で、姫路城に誇りを持っていますが、関西人の心のよりどころになっているのが大阪城では、という気がするんです。大阪のアイコンと言ってもいい。
信長は革命児。日本人が一番アンタッチャブルな神・仏に手をつけ、焼いて焼いて焼きまくった。男性の発想ではできなかったことができたのは、あれは女性かもしれないと思わせるぐらい画期的なことやったと思う。こういう人が出ない限り、戦国時代は終わらなかった。それに引き換え、秀吉。日本人はすごく好き。身分を超えて出世した。誠実に忠誠を尽くしていく。手紙にも人情があふれている。人間味のある人だから滅びても人気がある。家康はおじいちゃんやし、大阪人には東から来たというだけで気に入らないというか。でも、一番完成している。
北政所おねと、茶々(淀殿)は仲が悪い。一連の戦は女の戦いであったと思いますね。北政所にしてみたら、糟糠の妻、豊臣家の栄華を作ったのは自分である、と。実子がいれば歴史は変わっていたと思う。茶々は茶々で、自分は信長の姪であり、主筋の血筋にあたる、しかも世継ぎの秀頼を産んだのは私やろ、という自負。プライドのぶつかり合いです。
大坂の陣を総括すると、王将取られただけで、負けてへんで、という気持ちが残り続けていると思うんです。つい先年オーストリアで発見された金の屛風にも描かれたように、あの時代はどれを見ても明るいし、きらめいている。秀吉は輝くものが好き、大阪城もそうですし、金の茶室もそうです。それから大勢集まるのも好きです。北野の大茶会なんていうコンセプトは、まさに秀吉の性格を表している。豊臣政権が残っていれば、民と一体化して、明るく、前向きなものが残り、もっと発展したんじゃないかと思う。生き生きと楽しく、きれいなものに囲まれた、大阪人の好みに沿った文化が築かれていったのでは、と。(臼倉恒介)

会員懇談交流会の冒頭で挨拶する毎日新聞大阪本社代表の河野俊史・関西プレスクラブ理事長


有栖川有栖氏

玉岡かおる氏