WMG(ワールドマスターズゲームズ)に向け講演とトークセッション 間野早大教授らがレガシーづくりを強調


 第271回定例昼食会は2020年2月12日に開催し、関西を舞台に21年5月に開かれるワールドマスターズゲームズ(WMG)関西の意義をテーマに、早稲田大学スポーツ科学学術院教授・間野義之氏の講演と、同大会アンバサダーの大西将太郎氏(元ラグビー日本代表)、パラリンピック金メダリスト(アーチェリー)の大前千代子氏(大阪車いすテニス協会会長)、WMG2021関西組織委員会事務総長の木下博夫氏が加わったトークセッションを行った。間野教授は、ラグビーワールドカップ日本大会、東京オリンピック・パラリンピック、WMG関西と、世界規模の3大会が連続して同一国で行われるこの期間を「ゴールデンスポーツイヤーズ(GSY)」とし、次世代へと受け継がれるレガシー(遺産)をつくり上げることが使命であると強調した。トークセッションでは、大西氏が「ワンチームになって関西の魅力を発信していけたらいいと思う」と期待した。(種村 大基、辻井 靖司)

【講 演】
早稲田大学スポーツ科学学術院教授 
間野 義之まの よしゆき
「ゴールデンスポーツイヤーズが関西にもたらすもの」

 ラグビーワールドカップは世界3大スポーツの第3位、第2位はオリンピック・パラリンピック、第1位はサッカーのワールドカップだ。3位と2位が連続して同一国で開催されるのは世界初だ。これらは『見るスポーツ』だが、『するスポーツ』の世界最高峰はWMG。別々に招致活動をやっていた3つの大会が連続して行われるのは偶然だが、世界は驚いた。そして、国際オリンピック委員会(IOC)はこう考えた。オリンピックは現在、開催国に手が挙がらない。時間とお金がかかりすぎるので避けられる傾向にある。オリンピック・パラリンピックだけだと局所的、一過的だが、ラグビーワールドカップ、WMGを同一国でやれば地理的、時間的な広がりがあり、開催国に様々な良いレガシーを残すことができるのではないか。
 GSYは世界に例のない絶好の機会だ。さまざまな社会的課題、とくにスポーツを通じ健康問題の解決につなげていくことが重要だ。メダルの数や経済効果も大事だが、開催した結果、人々の暮らし、健康でアクティブな生活をワンステージ上げていくことが求められる。日本ではすでに東京、札幌、長野と3回のオリンピックを開催しているが、主として有形のレガシーはインフラだった。政府は年金制度や医療制度の改革を進めているが、それを上回るスピードで高齢者が増え、健康、福祉の問題に直面している。みんながアクティブであればそうした問題を緩和していける。

間野義之教授


 世界的IT企業などが開発した技術がスポーツに向かっている。東京オリンピックでは15種目でAI(人工知能)を使った自動判定システムが使われる。eスポーツは、世界の競技人口が1億3千万人に上る。賞金総額100億円を超える大会もある。22年のアジア大会では正式競技として導入される。28年にはオリンピックでeスポーツを導入するかもしれない。120年前に始まった近代オリンピックや国民体育大会での競技やスポーツも盛んにしていかなくてはならないが、さらに先を見たとき、もっと広く考えていく必要がある。
 アメリカの哲学者の言葉だが、凡庸な教師はただしゃべる。優れた教師は説明する。さらに優れた教師はやってみせる。しかし、本当の偉大な教師は心に火をつける―。未来を担う若者の心に火をつけることが一番大事だ。それが、GSYの最大のレガシーになるのではないか。

【トークセッション】

間野 スポーツを始めたきっかけは。

大西 生まれが東大阪の花園ラグビー場の近くで、身近にラグビーがあった。

大前 スポーツに出会ったのは40数年前のこと。銀行に就職してデスクワークだったので体を動かすことがしたいなと、大阪・長居のスポーツセンターでアーチェリー教室の門をたたいた。アーチェリーで金メダルを取り、出産も終え子育てに入ったが、その頃に車椅子テニスが日本に入ってきて、私にぴったりだということで始めた。

木下 中学、高校ではバスケット部のキャプテンをやっていて、校内マラソンで優勝したのが思い出。縁あってラグビー協会の評議員をやり、WMGの仕事もさせていただいている。

間野 長居は日本で最初の障がい者スポーツセンター。大阪は障がい者スポーツの歴史が深い。ラグビーは「にわかファン」で盛り上がっているが、「するラグビー」につなげるには。

大西 ラグビーは一度好きになるとずっと好きな人が多くて、70歳、80歳でもラグビーをする人が多い。パンツの色で区別して90歳以上の金色のパンツのおじいさんにタックルしてはいけないというルールがあったりする。ワールドカップを見て好きになった人にどうラグビーをしてもらうかが大事だ。

間野 とはいえラグビースクールが少ない。今からでも遅くないので子供向けにも広げていただきたい。

木下 WMGは2月1日からエントリーが始まった。この機会に「どの種目に出ようか」と考えて欲しい。

間野 WMGには、障がい者と健常者と一緒に出られる競技が12競技20種目ある。

大前 競技となってくるとやっぱり勝ち負けがついてくる。車いすテニスで言うと、障がい者と健常者のダブルスは親睦の間はいいのだが、競技となると健常者が車椅子選手めがけて強く打ってしまったこともあった。一緒にするのは賛成だが、勝ち負けが入ると難しい点がある。

木下 障がい者団体、競技団体同士のわだかまりはないと思う。新しい仕掛けをしていくためには今まで経験してないこともやっていかないといけない。レガシーとして日本のスポーツ大会で実績をつなげていける機会ではないか。

間野 多くの人が参加してもらうために「スポーツ休暇」を提唱するのは。

木下 大会のために有給休暇を消化させようという、経営トップの方々の発想が必要だ。そういう働きかけは今、経済団体の方々にもお願いをしている。関西で火がついたということを実績として全国に示すいいチャンスではないか。

トークセッションで意見を述べる大前千代子さん(右)と大西将太郎さん(中)、木下博夫さん(左)

大前 長居スポーツセンターは障がい者にとって本当に恵まれた施設だったが、40数年経ってもあまり変わってない。ジュニア選手も発掘しているが、なかなか持続できない。親御さんがそこに連れて行ってあげないといけないし、継続的にスポーツが楽しめないというのも現実だ。

木下 障がい者スポーツの試合会場や練習会場は、交通機関も含めて十分ではない。今回の広域的な開催によって、まちづくりに目をやることは、WMGに課せられた仕事だと思う。

間野 日本で一番成功している地域は北海道のニセコと言われる。最初に発信したのはオーストラリア人。2000年頃たまたま住み着き、「最高の雪がある」と、ホームページでどんどん伝えた。外国人も一緒になってWMGを発信してもらうことだ。

大西 ラグビーワールドカップではオーストラリアチームがニセコの近くにホテルを取った。先週行ったアイルランドでは、日本開催のホスピタリティを感謝された。日本の魅力を世界に持ち帰って発信してくれている。SNSの使い方は大事になってくる。

大前 「バリアフリー化が日本でここまで進んでいるよ」と発信できれば、障がいがある方でも日本の地方に行きたい方がいっぱいいる。

間野 このエネルギーが2025年の万博にもつながると考えると、WMGは本当の意味で通過点だ。今からいろんなレガシープランを作る大会にしていただきたい。


【ゲスト略歴(講演時)】
間野  義之(まの・よしゆき) 氏
 1963年生まれ。横浜市出身。研究分野はスポーツ政策論。マクロでは政府(中央、地方)のスポーツ振興方策。ミクロでは、スポーツクラブ、スポーツ施設やスポーツ組織のビジネスマネジメント。2011年6月東日本大震災の復興支援を契機に一般社団法人日本アスリート会議を創設(代表理事:2011~2014、副理事長:2014~)。元バレーボール全日本女子チーム監督の柳本晶一氏とともに、アスリートによる震災復興に携わる。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会参与。

大西  将太郎(おおにし・しょうたろう)氏
 1978年11月生まれ。東大阪市出身。地元ラグビースクールで競技を始め、高校、大学で好成績を収める。日本代表には同志社大4年時に初選出され、通算33キャップ出場。2007年ワールドカップフランス大会では日本代表の連敗記録を止める活躍を見せた。ラグビートップリーグでは2007︱08シーズン時にベスト15、得点王、ベストキッカー賞に。2016年1月に引退を発表。現在は立命館大ラグビー部バックスコーチを務める傍ら、解説や普及活動に注力する。
 

大前  千代子(おおまえ・ちよこ) 氏
 1956年1月生まれ。生後一歳半でポリオ(両下肢弛緩性麻痺)にかかる。80年オランダ・アーヘンでのパラリンピックに初出場。アーチェリーで金メダル、スラロームで銅メダルを獲得。2男の出産・育児をへて、テニスに転向、アトランタ、シドニー、アテネ、北京と4大会連続で出場し、シドニーとアテネでは、3位決定戦で敗れ4位入賞。

木下  博夫(きのした・ひろお) 氏
 1943年1月生まれ。静岡県出身。京都大学農学部卒業。1967年4月建設省(現、国土交通省)入省、1987年6月京都市助役、2000年6月国土事務次官。04年7月阪神高速道路公団理事長、05年10月阪神高速道路株式会社代表取締役社長(2010年6月退任)。12年国立京都国際会館館長(18年7月退任)。14年12月から現職。