■新しい都構想と「副首都」
東京一極集中の中で、中央と地方が親と子のような関係にあるのが今の日本のあり方。でも、子供もだいぶん成長してきたので、それぞれが独り立ちできるような仕組みにならないといけない。
これまで、大阪都構想については制度論に終始しすぎて、何のためにやるのかが正直伝わっていなかった。東京一極集中に代わるような都市のあり方、単に首都のバックアップ機能だけでなく、経済的にも文化的にも代替機能を有することができる都市の姿を議論したい。3年くらいかけて多くの市民に理解が得られるような案を作って、もう一度住民のみなさんに、任期中に諮りたい。
行き着く先は道州制になると思うが、権限を変えるには、相当な政治力と合意形成がないとできない。ただ、日本の将来を考えたときに、第一歩は大阪で踏み出せるのかなと。もちろん、行政機構が変われば全てが変わるのかというとそうではないが、一つの要素だろうと思っている。
■きっかけは、たかじんさん
サラリーマン家庭に生まれ、公立の小中高校を卒業後、九州大に行き、25歳から弁護士をしている。最初東京の法律事務所に就職して度肝を抜かれたのは、政治、経済その他いろんなものが全て東京に集約されているということ。圧倒的に東京一極集中で、大阪は一地方なんだと認識させられた。
その中で、当時の橋下徹大阪府知事が、大阪にもう一つの軸をつくりたいと、都構想の趣旨となる政策を掲げた。私は、やしきたかじんさんの顧問弁護士をしていて、たかじんさんから「橋下君と志を同じくするメンバーに入り、やってみたら」と勧められ、大阪市議会議員に挑戦したのが、政治の世界に入るきっかけになった。
■住民投票、大阪ダブル選
都構想の住民投票は本気で駆け抜けたが、反対多数となった。そのときは「結果は大阪市民の判断だ。ただ、僅差であるので都構想の趣旨は反映してほしい」という思いだった。しかし、賛成が69万いたことが完全に無視されているような状態で、「(大阪維新の会として)市長選に誰か出すべきだ」という流れに変わった。
枚方市長選の投開票日(2015年8月30日)に、松井一郎知事から「橋下市長からの話で」と大阪市長選出馬を打診され、即断で「やります」と答えた。僕は国会議員だったし、安保法制もあったので、国会会期が終わるまでは黙っておこうと3人の秘密にして、10月1日に市長選立候補を発表した。
自分は全くの無名。下馬評では相手候補有利からスタートした。しかしながら、活動していくと、市民からは「今のままの大阪ではだめだ」「改革を続けてくれ」という声が圧倒的に多いと思った。今回の市長選、こと都構想に関して言うと、絶対反対はそう多くなく、中身をもう少し議論していけばいいという市民がたくさんいることが証明されたと思っている。
■政治家・橋下氏の評価
永田町にも行っていろんな政治家に接したが、橋下氏のような政治家はなかなかいない。国会議員を見ても本当の意味で地方分権、一極集中をなくしていこうと思っている議員は非常に少ない。橋下氏は、損得抜きにあるべき姿を追い求める希有な存在だと思う。
橋下氏はいったん辞めるが、完全に政治家として終了させるのは絶対にだめだという思いは今でもある。大きな政治的パワーが必要だと感じたときに、政治の世界に復帰するタイミングはあると思う。そんなに遠くない将来、あるんだろうなと思っている。
■議会と「対話」
政治は、動かして、今よりもよい制度にしていくことが大事。決定権限がある議会に最良の案を出し、100%維新の案でなくても本質が変わっていないのであれば前に進めていきたい。議会のみなさんとも今まで対立はあったが、修正して改革を進めていきたい。
勝負事は、勝ったときこそ負けた側に配慮する方が、物事を進めていくことができる。よりよい修正案を作れば、市民の理解は得られるんじゃないかと思っている。
■関西他都市との関係は
対東京、あるいは国際的な目線で見たときに、関西の自治体それぞれがばらばらになっているのはよくないと思っている。利害が相対するところはあるが、大阪が中心的役割を担って、一体となってあるべき姿を追求したい。一般論として、今まで連携がうまくいっていないんじゃないかというのはそうだと思う。関西が大きなエリアになることを目指さないと、力が分散される。各自治体と協力関係を築いていきたい。
関西広域連合に関して言うと、国出先機関の地方への丸ごと移管は、政治的な状況もあって途中で立ち消えになっている。中央集権の突破口の一つとして、前向きに進めていくべきだ。(内田 透)
吉村 洋文(よしむら・ひろふみ)氏
1975年生まれ、大阪府河内長野市出身。94年に大阪府立生野高校を卒業、98年3月に九州大学法学部卒業し、同年10月司法試験に合格、弁護士に。2011年4月、大阪市北区から市会議員に立候補し初当選、政治の道に入った。13年5月「大阪維新の会」の市会政調会長、翌14年12月の衆院選(大阪4区)に立候補、小選挙区では敗れたものの比例復活当選した。今年11月22日に行われた大阪府知事・大阪市長ダブル選で、橋下徹・現市長の後継候補として立候補し、自民党推薦の柳本顕氏を20万票近い大差をつけて破った。12月19日、第20代大阪市長に就任。
剣道初段、生野高校時代はラグビー部で活躍、ポジションは、高校時代やはりラグビー部員だった橋下前市長と同じ、WTB(ウイングスリークォーターバック)だった。家族は妻と、ふたごの長女、次女と長男。子供たちとの散歩が趣味。座右の銘は「意志あるところに道は開ける」。