春野恵子 新春 浪曲一本勝負
関西プレスクラブは、浪曲師の春野恵子さんと曲師の一風亭初月さんを招いて1月20日に新年会員交流会を大阪工業大学梅田キャンパス「常翔ホール」(大阪市北区)で開催した。交流会では、春野恵子さんのトークとともに、春野さんと一風亭初月さんの三味線による浪曲「両国夫婦花火」が披露された。
春野さんのトークと質疑応答の内容をまとめた。
(山崎 真一、山根 順=前企画委員)
東大卒人気タレントが一転、弟子入り 世界の人を「浪曲沼」に引きずり込む
きょうは浪曲とは何かを知ってもらい、実際に聞いてもらうことで身近に感じてほしいと思っています。日本は語り芸が豊富な国ですが、落語、講談、浪曲の中で歴史が最も古いのは講談で次が落語です。浪曲ができあがったのは江戸時代末期から明治初めといわれています。落語や講談は座り芸といわれ、座布団の上に座って演じますが、浪曲は立って演じます。浪曲師が物語を語る際に目の前にかけている布は「テーブルがけ」、略して「ブルかけ」と呼ばれます。正絹でできていて、相撲で客から贈られる化粧まわしと同様に、ご贔屓の客に作ってもらうものです。
浪曲は落語と同じようにかみしもを振って演じ分けながら語っていきます。この手法は落語や講談と同じですが、浪曲は三味線とともにメロディーで語ることから落語や講談のミュージカル版、あるいは「和製オペラ」とも「ひとり宝塚歌劇団」とも呼ばれています。
私は2003年に持てるだけの荷物をもって夜行バスで大阪にやってきて、大阪の無形文化財に指定されている2代目春野百合子に弟子入りしました。浪曲界は60歳でもまだまだ若いと認識されているので、入門してから10年間はしっかりと浪曲の基本を身に着けていこうと思っていました。
弟子入りする以前の2000年から2001年にかけて、私は日本テレビ系列の「進ぬ!電波少年」という番組で芸人さんに勉強を教える家庭教師「ケイコ先生」としてデビューし、経験がない私が番組の力で名前と顔が売れていったことに戸惑いました。同時に東大卒タレントとしてテレビに出るのではなく、しっかりと修行を積み、歌やお芝居などの芸を身につけたいと思っていたので、このまま芸能界にいてもいいのか悩んでいたのです。そんな時、ラジオ番組で知り合った春風亭昇太師匠のご紹介で、初めて生の落語を聞き、驚きました。脳内で無限大の想像ができる語り芸を初めて知り、世界が広がったのです。
浪曲を知ったのは、亡くなった国本武春師匠がきっかけでした。私は幼いころから「暴れん坊将軍」がすごく好きで、母はミュージカルが好きでした。それで浪曲を見たときに、時代劇とミュージカルを足して2で割ったものが目の前で繰り広げられている。浪曲をやれば、やりたいと思っていたことがすべて叶うと思ったのです。一生やっていきたいと思えるものにやっと出会えたといううれしさがありました。
いかに浪曲が知られていないかという現実を目の当たりにしてからは、より多くの人たちに浪曲を知ってもらいたいと思うようになりました。カフェやバーで浪曲を気軽に聞けるようにしたり、新作浪曲で身近な話題をやったり、英語の浪曲を作ったりもしています。
2013年に初めて全編英語の浪曲を作って山本能楽堂で披露した時に、日本語が全然わからない海外の客が、浪曲を楽しみ、楽屋の外でずっと待っていて感想を熱く語ってくれました。それがすごくうれしくて、この時初めて、海外に浪曲を広めたいと思いました。
その時に取材に来た記者に、思いつきで「私、ニューヨークで浪曲の公演をします」と宣言してしまい、その記者に会うたびに「NY公演はいつどこでやるんですか、手配とかもあるので、取材したいんで」と言われて、どうしようと思いました。それで、当時はまだ創成期だったクラウドファンディングと伝統芸能という珍しい組み合わせを2013年の末頃から始めました。目標は3か月間で300万円だったのですが、555万円という大きな支援をいただき、NYだけでなく、ドイツのベルリン、中国のアモイにも行きました。
海外に行くと、歌舞伎や落語は知っていても、浪曲は知らないという状況でした。最初はマンハッタンの会場を自分で借りて、チラシを貼り、自分の足で準備していました。それが広がって、翌年からはモスクワ音楽院の音楽祭に毎年のように呼んでもらったり、ローマ大学に呼んでもらったり、ブラジルのサンパウロやモンゴル、アイルランドのコークとダブリンにも行きました。
よりキャッチーに浪曲を楽しんでもらおうと、ロック浪曲というものもやっています。浪曲はふだん三味線ですが、バンドと一緒によく知られている曲にのせて、物語を歌い語るというものです。まずは浪曲に興味を持ってもらい、ずるずると浪曲沼に引きずり込んでいこうという仕掛けのひとつとしてやっています。
現在、一風亭初月さんとともに公益社団法人浪曲親友協会の理事を務めていますが、協会の経営状態を考えると大変です。新型コロナの影響でこのままではあと3年で貯金が尽きて解散せざるをえない状況です。そのなかで、29年ぶりに新たな寄席を作ろうと、理事の皆で準備に追われています。
【質疑応答】(質問は田中事務局長)
Q:20周年を迎えて、これから浪曲界をどのようにしていきたいと思っていますか。今後の活動の展開は。
A:若手が入ってきてくれたので、裏方で、あまり表に出なくていいのかなと思っています。年に1回は東京でも独演会をやるし、年末に独演会をしたり、手塚治虫のブラックジャックを浪曲にしてくれということで、手塚プロさんから許可をいただいて、浪曲にしたりしています。万博で何かできないかと画策していますし、水都大阪コンソーシアムと一緒に、大阪の魅力を発信していこうと「水の都の大阪めぐり」という新作浪曲を作って、古墳時代から現代にいたるまでの大阪の歴史を振り返るという新作浪曲を作っています。協会の経営状態の立て直しを頑張る年になりそうです。
Q:浪曲の世界は「女性」浪曲師とは言わないのはどうしてでしょうか。
A:最近では落語、講談は女性で活躍している人もいますが、基本的には男性がやっていたものです。一方、浪曲はもともと女性もいる世界で、落語や講談はいろいろな考え方の師匠がいますが、浪曲界は、「女性だから」ということは全くありません。うちの師匠は二代目春野百合子で、無形文化財になるくらいすごく評価されています。女性で活躍していた浪曲師はたくさんいます。皆さんがよく知っている女流は、二葉百合子先生になるのかな。男性は三波春夫先生、村田英雄先生も、元々浪曲師です。浪曲界は、私が入った時におじいちゃんの浪曲師でも、もっと上の超リスペクトする女性の浪曲師を知っているから、女性だからどうのとか言われることは全くない。女性が働きやすい職場です。女性の入門者がたくさん来てくれたらいいのにと思います。
交流会では、春野さんと初月さんの公演の後、2人を交えての立食の懇親会を行った。交流会での懇親会は3年ぶりの開催となり、遅くまで歓談が続いた。
春野 恵子(はるの・けいこ)さん
東京都出身。東京大学教育学部卒業後、バラエティ番組「進ぬ!電波少年」の「ケイコ先生」としてデビュー。テレビタレントとしてドラマ、CM、情報番組などに出演し、人気を集めた。2003年。浅草・木馬亭で浪曲と出会い衝撃を受け、関西浪曲界の大御所・二代目春野百合子さんへの弟子入りを決意、同年7月入門。06年に初舞台を踏んだ。独自の発想で、浪曲復興のために活動。落語などジャンルを超えた演芸・伝統芸能とのコラボを通じ、若者への浪曲の普及にも努めている。大阪市の「咲くやこの花賞」はじめ、関西元気文化圏賞など受賞多数。
一風亭 初月(いっぷうてい・はづき)さん
和歌山市出身。1998年10月曲師藤信初子さんに入門。2000年9月ワッハ上方でデビュー。春野恵子さんほか、多くの浪曲師の曲師をつとめている。08年大阪文化祭賞奨励賞、15年大阪府知事賞受賞。