コロナ禍教訓に「予知」、ワクチン、治療まで

第300回 2023年12月22日
塩野義製薬代表取締役会長兼社長CEО
手代木てしろぎいさお
「ヘルスケアの未来創造にむけて―HaaS企業への変革―」

 皆さんが使うお薬のうち、「医療用医薬品」は病院で医師から処方箋をもらって薬局で出してもらう薬。10~15年ほど前はジェネリック医薬品(後発薬)という言葉を聞いたことがない人がほとんど。年配の人はどうしてもお薬の量が増えるが、少子高齢化の日本で国民皆保険が続いていることが奇跡だ。赤字国債を出してプライマリーバランス(PB=基礎的財政収支)が崩れているため、どこかで破綻するだろう。国はジェネリックを推奨し、今年の薬価調査の中でジェネリックのある製品のジェネリック比率は80・2%に達した。一方で、ジェネリックは品質問題が発覚するなど、かなり性急に普及を進めたために副作用も出始めている。新薬をどう伸ばすか、ジェネリックをどう国民の皆さまに安心して使ってもらうか、非常に重要な転換点にきている。

 もう一つの「OTC」と呼ばれる「一般用医薬品」の売上高は過去30年間、フラット(横ばい)だ。OTCの市場は医療用医薬品の10分の1ぐらいしかない。OTCが伸びないのは、医療用医薬品の個人負担が安すぎるからだ。

 医療用医薬品の新薬開発には平均12~13年はかかる。新型コロナウイルスのワクチン・治療薬の開発は突貫で3年だったが、異常事態。費用も数千億円かかる。化合物が新薬として発売される確率は0・005%なので、普通に考えればやってはいけないビジネス。ただ、薬がなくて困っている人を助けられることは生きがい。

 これだけのお金と期間をかけて開発に成功した薬は利益も大きいが、特許は出願されて20年で切れてしまう。出願して15年ぐらいかかってようやく新薬を発売しても5年しか独占できない。これを防ぐためには開発期間を短くし、次々と新薬を生み出すしかない。特許が切れるとジェネリックの発売で売上高が崖のように落ち込んでしまう。製薬会社はこの事象を「パテントクリフ」(特許の崖)と呼んでいる。

 1985年度の製薬業界の売上高ベスト3は、武田薬品工業、三共(現第一三共)、塩野義製薬で「御三家」と呼ばれた。しかし、新薬が出続けないと製薬会社はもたない。武田と三共はその後、グローバル製品を開発したのに対し、当社は何も開発できず、卸売りなど医薬品以外の分野で売上高を伸ばしていた。2000年度の売上高はなんとか4位だったが、(本業のもうけを示す)営業利益は12位と沈み、会社を変えなければならないと感じた。

 社長に就任した08年以降、当時の売上高4千億円のうち医療用医薬品以外は全てスピンアウト(分離)して、2千億円にスクラップした。このため、10年度の売上高は10位に落ち込んだが、営業利益は少しずつ上向いている。

 粘り強く上がブレずに同じことを言い続けることが会社を維持するためには必要。当社には「クレストール」という高脂血症のいい薬があったが、16~17年に世界中の特許が切れてしまった。社長就任時に全従業員に「このままでは8年後に会社が潰れる」と伝えた。当初は反発も受けたが、最終的に「頑張らなければという気持ちになった」と言われた。

 社長になってから、「営業利益は業界トップになろう」というスローガンを掲げた。その頃は研究領域が15~20個もあったが、資源が分散すると勝てない。領域を絞り込んでナンバーワンになろうと、クレストールの特許が切れた後、まずは感染症、次に中枢神経系をやることにした。売上高はなかなか4千億円を超えられなかったが、22年度に過去最高を更新し、(本業の稼ぐ力を示す)営業利益率(売上高に占める営業利益の割合)も34・9%と上がってきた。

 海外のメガファーマ(巨大製薬企業)に比べて規模の小さい当社は自社創薬比率と営業利益率の2点に注力している。クレストールのパテントクリフは抗エイズウイルス(HIV)薬による1500億~1700億円のロイヤルティー(特許権使用料)収入で乗り越えることができた。さらに、22年に承認されたコロナ治療薬「ゾコーバ」で売上高を落とさず、伸ばせるかもしれない。

 国民皆保険の破綻が懸念される中、処方薬ビジネスのみに頼るのは危険なので、ワクチンや一般用医薬品にも力を入れる。

 日本で一番多い高血圧の患者は1千万人ぐらいだが、ワクチンは健康な人を含めて全国民1億2500万人が対象となりうる。サービス業としてヘルスケアを提供するという発想の転換をしなければならない。

 当社は感染症専門メーカーとはいえ、治療薬しかやっていなかったため、コロナ禍は大きな教訓になった。ワクチンで予防し、その前の予知と診断、そして治療までをカバーする会社になろうとしている。国内のDX(デジタルトランスフォーメーション)ベンチャーに対する投資件数では業界首位だと思う。

 インフルエンザか否かを診断する際、現在は鼻の奥に綿棒を突っ込むやり方だが、子供は泣き叫ぶ。人工知能(AI)医療機器ベンチャーのアイリス(東京)は、喉の画像と問診情報を解析し診断できる医療機器を開発した。その販売のお手伝いをする。

 リモート診断なども考えなければならない。不眠症患者に診断・治療を提供できるアプリをサスメドが開発し、来年から当社が国内販売を担当する。このアプリは、生活のどの部分が睡眠を妨げているかを分析し、睡眠導入剤を減らしたり、離脱したりできる。生活を見直すきっかけになる。

 このほか、島津製作所と組んで、下水から感染症の患者を予測する取り組みに着手した。下水疫学は欧米では実用化されているが、日本は圧倒的に遅れている。

 このように当社はいろいろなことをやってパテントクリフはなくなりつつあり、少し明るい道筋が見えてきた。

 一方、六十数年にわたって感染症の研究・開発に取り組んできたが、世界的にも感染症をやっている製薬会社は2~3社しかない。例えば、世界を救ったコロナのメッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンは抗感染症薬ではない。ウイルスの遺伝子情報をmRNA上でデザインしてうまく体内に入れ、体内で抗体を作るようにしている。

 当社はウイルスのライブラリーを持っている国内唯一の会社。こうした“感染症屋”が国内に1社ぐらいはないと大変。がんだと10社ぐらいあるのに、なぜ感染症屋は1社しかないのか。もうからないからだ。当社はエイズ、マラリア、結核の世界三大感染症も真面目に取り組んでいる。

 ゾコーバや18年発売の抗インフルエンザ薬「ゾフルーザ」など抗感染症薬を出している。20年からはコロナワクチンと治療薬に経営資源を集中した。社内の一部は相当不満だったようだが、次のパンデミック(感染症の世界的流行)のときにも外国頼みで本当にいいのか。

 日本製薬工業協会が一般人を対象に毎年実施しているアンケートで、「感染症薬を含めて日本での創薬は必要ですか」という設問があり、90%を超える人が「絶対必要」と回答していた。「欧米の企業に任せていいですか」という設問に「それでもいい」と回答したのはたった22%だった。

 国民には「日本で創薬してほしい」という気持ちはあるが、どう具現化するかが問題。当社は経営危機に陥ったバイオベンチャーのUMNファーマ(横浜市)を買収した。同社の技術を使って経験のなかったコロナ向けの「組み換えタンパクワクチン」の開発に乗り出した。おかげで苦労しているが、次のパンデミックでmRNAと同程度のスピードでワクチン開発できる能力は持てた。どんな型でも抗体が作れるユニバーサルワクチンの開発に本気で取り組んでいる。

 治療薬については米ギリアドの「レムデシビル」などが市場に出たが、世界でも感染症をやっている会社は数社しかない。ワクチンや抗体薬は感染症を知らなくてもできるが、治療薬はウイルスや副作用の仕組みを知らないとデザインできないので、世界にとってもリスクだと思う。

 欧米製薬企業の治験の対象は、重症化率の高いコロナワクチンの未接種者。しかし、国内ではワクチンを一度も打っていない人はほとんどおらず、当社は重症化しにくい患者で差が出てこそ本当の薬と考えた。結果として欧米の治療薬の方が早く承認されたので、「塩野義もそっちでやるべきだった」という声が寄せられたが、国内患者向けの薬開発は日本の会社だからこそできる。ただ、どういう考え方で開発しているのかを伝えられなかったので、もっと説明すべきだったと思う。

 コロナは家庭で子供から高齢者に感染するケースも多かったため、子供も飲める飲み薬を試験している。飲み薬は、当社を含め日米3社の3種しかない。感染症ビジネスは継続が難しく、メガファーマで撤退が相次ぎ、創薬ベンチャーの破産が続出した。

 投資額や開発リスクは、抗がん剤も高血圧もそれほど変わらないのに収益がうまく得られなければ誰がやるんだろうか。私どももコロナ関連に集中したので、ゾフルーザの売上高は3年連続ゼロだった。ただ、ゾフルーザの設備を丸々使えたので、ゾコーバを増産できた。新たに設備をつくっていたら2年ではできない。

 感染症ビジネスは、社会の理解とメディアを含む継続的な啓蒙(けいもう)がないと難しい。国も「先進的研究開発戦略センター(SCARDA)」、薬やワクチンの「緊急承認制度」を創設するなど頑張ってくれているが、インフラやプレーヤーがついてきていない。特に、国内臨床試験(治験)の現場は悲惨だ。インセンティブ(動機づけ)が乏しいため当社も被験者を集められず、韓国とベトナムで実施した。アジア全体の治験ネットワークを構築する必要がある。

 ワクチンは規模が大きくなるので、「もう不要だから」と生産ラインを止められたら製薬会社はもたない。コロナ特需はもう終わったという雰囲気だが、次のパンデミックに対応できるだろうか。年1~2回は工場を稼働させ、国内で不要なら東南アジアに輸出させてもらえないか。こうした準備ができてこそ、“戦時”に抗感染症薬をお届けできる。また、緊急承認制度は当社しか使っておらず、制度としてどうなのか。ブラッシュアップが必要だ。

 さらに、国内抗生物質の原材料の99%は中国がつくっている。全て止められると、現在持っているモノで6カ月もつかもたないか…。抗がん剤も手術後の感染症予防薬もなくなる。日本でもつくり始めているが、理解を得られていない。安全保障をもっと考えないといけない。感染症ははやらないのが一番いいが、はやらないときに当社は潰れる。いざというときに備えるためには一定のお金が必要で、今後も皆さまと議論したい。

(藤原 章裕)

ゲストの略歴(講演時)=1959年12月、宮城県生まれ。1982年3月に東京大学薬学部卒業後、同年4月に塩野義製薬入社(薬学博士:2001年)。1987年からの2度にわたる計7年間の米国勤務後、社長室勤務を経て1999年に経営企画部長に就任。当時社長であった塩野元三氏と二人三脚で塩野義製薬の構造改革を進める。2002年6月に取締役、2008年4月に代表取締役社長に就任、2022年7月より現職。
社長就任時、低迷していた老舗企業を業界屈指の高収益な体質へ変革した手腕は、「手代木マジック」とも呼ばれる。現在は、SHIONOGIグループを医療用医薬品中心の「創薬型製薬企業」から、「HaaS(Healthcare as a Service)企業」として、社会に対して新たな価値を提供し、患者さまや社会の抱える困り事をより包括的に解決していくべく、更なる改革を進めている。