スター選手だけでなく、指導者も育ててほしい 辛抱がいるが、阪神にとっての大きな課題だ

230回 2015917

元阪神タイガース監督
吉田 義男 氏
「阪神タイガース創立80周年 『わたしとタイガース』」

  阪神タイガースでは8年間監督をやらせていただいた。振り返ると、今日まで60数年間、野球一筋、阪神一筋で、野球人生を送ることができ、非常に幸運だった。現場では、楽しいこと、苦しいこともあったが、非常に幸せな野球人生だった。
 ことしは高校野球100年。甲子園は連日超満員で、これほど盛り上がったことはなかった。
 U―18はアメリカに敗れたが、いい試合だった。早稲田実の清宮選手、仙台育英の佐藤投手、関東第一のオコエ選手など優秀な選手が多い。プロ志望の選手も多く、プロ野球人として嬉しいことだ。
 阪神は、藤浪投手が3年目で、成長したが残念ながら高校卒業後に入団した選手はなかなか活躍しない。他球団では、関西出身の選手が活躍している。西武の森選手、ヤクルトの山田選手、ヤンキースの田中投手やレンジャーズのダルビッシュ投手などだ。関西の選手を、他球団が獲得していくのは寂しい。甲子園は、浜風があって不利な条件もあるが、阪神はホームランバッターなどのスター選手を育てることが大事だ。
 そして厳しいことだが、阪神は、常に勝つことを求められる人気球団。マスコミ含めて非常に注目度が高い。それを心得ておかないといけない。
 私が入団した当時の体験談を、お話しする。私は19歳で立命館大学を中途退学した。体重も52、3キロで体が小さかったが、人よりも球を取って早く投げることを心がけた。今は余り言わなくなったが「プレーの職人になれ」と、いうように、その人しかできない技術を習得することが大事だ。
 選手が育つためには、指導者、監督に恵まれることも非常に大事だ。私はタイガースに入ってから大事なゲームで随分、エラーをしたが当時の松木謙治郎監督は、使い続けてくれた。失敗をして技術を覚えるということを体験させてもらった。指導者には、選手の素質や技術を見抜く眼力が必要だ。
 私が監督をしていた当時は、終始一貫して選手に「力を出し切れば勝てる」と言っていた。チーム一丸となって挑戦し、力を出し切る。当たり前のことのことを当たり前にやれ、と1年間ことあるごとに言い続けた。選手に同じことを言っていると、どこか心に残る。安心感や信頼につながっていく。85年に優勝したが、同じことを言い続け、信頼関係とか安心とかが生まれて結果として優勝につながった。終わってから選手に「楽にプレーできた」と言われ、非常に嬉しかったことを覚えている。
 阪神は、これからスター選手だけでなく、指導者も育ててほしい。育成には辛抱がいるが、阪神にとっての大きな課題だと思う。
 今後のプロ野球の隆盛のために東の巨人、西の阪神、両球団がリーダーシップをとっていくことが非常に重要だ。さらに、阪神と、オリックスの関西の2球団が日本シリーズをやることが関西の活性化につながる。2020年の東京五輪に野球とソフトボールが復帰するということも自分の夢だ。
 私は現在、82歳。野球への感謝の気持ちを忘れずに、これからも野球が盛り上がるように貢献していきたい。(海老原 史)

 講師略歴(講演時)=1933年京都市生まれ。山城高校から立命館大学に進学したが1953年に中退し、阪神タイガースに入団。阪神では俊足、巧打、好守の遊撃手として活躍し「今牛若丸」と呼ばれた。盗塁王2回、ベストナイン9回、55年には147本の最多安打を記録した。現役引退後は、757785879798年の3期に渡り阪神の監督を務めた。85年は阪神を21年ぶりのリーグ優勝、日本シリーズは西武を下し球団初の日本一に導いた。シーズン終了後、正力松太郎賞を受賞、92年に野球殿堂入りした。現役時代の背番号「23」は永久欠番。現在は朝日放送の野球解説者、日刊スポーツの評論家として活躍。