グローバルな都市間競争の時代にどのような価値を発信できるか

250回 201798

神戸商工会議所会頭(シスメックス会長兼社長)
家次 恒 いえつぐ ひさし)
「神戸の新たな挑戦~開港150年  そしてこれから」

神戸が開港150年を区切りにどう飛躍していくのか、今、商工会議所を挙げて検討している。過去の歴史を50年ごとに見てみると、1868年の開港から50年は、神戸経済が輝かしかった時代。1874年に神戸・大阪間に鉄道が開通、1878年には商工会議所もできた。神戸製鋼所など、多くの大企業のルーツとなった「鈴木商店」が誕生し、日本一の企業へと成長した。
続く50年は、戦争を挟む産業勃興期。造船や鉄鋼、貿易が主要産業となり、戦後は日本の高度成長をリードする重厚長大産業を中心に、多様なものづくりが発展した。そして、開港100年からの50年は、停滞からリカバリーしていく時代。オイルショックで重厚長大産業は厳しくなったが、神戸ではファッションや食品などの産業が花開いた。1981年にはポートアイランドができた。「山、海へ行く」といわれた神戸の都市経営は、日本中から注目を集めた。
大きな転機となったのは阪神・淡路大震災。人口は約10万人減り、20年かかってようやく回復した。一方、事業所数は約84千から約75千に1万ほど減ったまま、あまり戻っていない。企業オーナーの高齢化、事業承継の問題は、産業政策の中で大きな課題である。また、神戸港の貿易は、1976年にニューヨークに次いで世界第2位だったコンテナ取扱量が、2016年には55位に。上位は中国の港が占めているが、これは震災があったこと以上に、日本の地盤沈下が進んだことが要因といえる。
これから重要となる視点の1つが、都市インフラの充実。来年4月から関西エアポートによる関西3空港の一体運用が始まり、シナジー効果が期待される。今は関西空港でさばき切れないほどのインバウンドがあり、来年秋には大阪万博の誘致の行方も決まる。3空港をどう使っていくのかが重要で、神戸空港は是非、国際空港化していただきたいと思う。大阪湾岸道路はポートアイランドまで西伸する計画がある。海から見てもきれいな橋でつなぎ、神戸の新たなシンボルにしてほしい。 JR三ノ宮駅周辺の再整備は、京都や梅田が先行して取り残された形となったが、後発のメリットをうまく出すことが大事だ。都心部が海に近いことも神戸の大きな利点であり、港の陸側に観光船やウォーターフロントの機能を展開し、貿易機能は六甲アイランドの沖側に出していく将来構想もある。
「医療産業都市」宣言から来年で20年になる。現在、メディカルとバイオ、シミュレーションの3つのクラスターに337社が集積し、約9200人の雇用が生まれた。iPS細胞の研究から「アイセンター」が発足、スーパーコンピューター「京」の100倍のスピードを持つ「ポスト京」の開発も進められる。神戸市には24の大学・短大があり、東京や京都に次ぐアカデミアの集積がある。外国人にも住みやすい住環境、六甲山をはじめとする自然のアセットもあり、「エッジの効いた人」が集まる街でもある。これからはグローバルな都市間競争の時代。神戸は、東京をベンチマークするのではなく、世界にどのようなバリューを発信できるのかが問われる。
10年前、スマートフォンができて世界が変わったように、潮目が変わるときには必ずチャンスが生まれる。これからの神戸に期待していただきたい。
(菅井 賢治)

講師略歴(講演時)=1949年大阪市生まれ。73年京都大学経済学部卒業後、三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)入行。86年、オーナー経営者であった義父の急逝を受けて東亜医用電子(現シスメックス)に入社、取締役に就任。90年常務取締役、96年代表取締役社長、20134月より代表取締役会長兼社長。ITとロボティクス技術を活用したシステム事業を推進し、機器売りビジネスから、顧客に新しい価値を届けるソリューションビジネスへの転換を図った。190か国以上と取引するグローバル企業へと成長させ、現在、ヘマトロジー(血球計数検査)で世界NO.1のシェアを占める。2001年神戸商工会議所副会頭に就任、医療産業をはじめ新産業の創造に尽力。1611月神戸商工会議所第31代会頭に就任、都市インフラをはじめ主要プロジェクトが動き出す神戸で経済界の先頭に立つ。「意あらば通ず」を座右の銘とし、僅かな可能性があれば積極的に攻め、新たな道を切り開くことを常に考える。趣味は読書、スポーツ観戦。熱心なタイガースファン。学生時代は合気道部、柔道部、フェンシング部に所属するなど、武道家である。休日はダッチオーブン(金属製蓋付き鍋。アメリカ西部開拓時代、カウボーイが使ったことなどで知られる)の料理で家族をもてなす。