地にしっかり足をつけ、世界の多様性と生きる



講演会の模様をYoutubeにアップしました。

第287回 2022年7月29日
瀬戸内国際芸術祭総合ディレクター
アートディレクター
北川きたがわ フラム
「瀬戸内国際芸術祭はなぜ希望のプロジェクトなのか
〜コロナパンデミック・ウクライナ侵攻の時代に〜」

 瀬戸内海に浮かぶ香川県や岡山県の島や港を舞台に2010年にスタートした瀬戸内国際芸術祭、略して「瀬戸芸」。会期は春、夏、秋の3シーズン。3年に1度開催し今年で5回目となる。瀬戸芸は非常に人気があって。ニューヨーク・タイムズは「世界で7位の行くべきところ」とし、ナショナルジオグラフィックトラベラーは「瀬戸芸をやっている瀬戸内は世界一行くべきところ」と書いた。そこへコロナ禍がきた。春会期が終わった段階でも、全体では前回比で6割の方に来ていただいており、そう悪くないと感じている。写真を示してお話ししたい。

原研哉氏の作品をを説明する北川フラム氏

  このポスターは岡山出身のデザイナー、原研哉さんの作品。原さんは初回からグラフィックデザインで参加されている。特徴を一言でいえば「じいちゃん、ばあちゃんの元気」。元気のよい85歳から90歳の人たちが登場したポスターだ。次は直島にある安藤忠雄さんの「地中美術館」。瀬戸内海の風景を壊さない形でコンクリートを用いて岩盤の上に形を造って土で埋めて植栽をやった。安藤建築は外界の海や空を内部に映す仕組み。建築を仕掛けとして使っている。安藤さんは瀬戸芸に深くかかわっていただいている。
 豊島(てしま)は瀬戸芸が始まるときから課題だった。私が呼ばれたのは2006年。産業廃棄物の問題が続いており、風評被害もあった。だからこそきちんと取り組もうと思った。ハンセン病の国立療養所のある大島もそうだ。いわゆるネガティブな場所をしっかり見据えないと瀬戸内ということにならないだろうと感じた。豊島は不法投棄事件があったが、本来は(名前のとおり)豊かな島。多くの水を涵養(かんよう)している。そこでシンボリックなアートの美術館ができた。世界でも有数の人気美術館だ。
 男木島はまるで変わった。2014年に日本で初めて小・中学校が再開した。7年前の人口は180人だったが、現在25世帯が移住し、常に3、4世帯が待機している。瀬戸の花嫁が生まれ、島全体が参加した披露宴があった。

安藤忠雄氏の地中美術館(定例会のスライドから)

 いま美術の世界では今までとは違う動きが出てきた。アルタミラ洞窟やラスコー洞窟の壁画、日本の装飾古墳をみれば分かるように、そこに住んでいた人たちがどうしても描かざるをえない、記録せざるをえないものが記録されている。ところが近代になって(美術は)場所から離れて独立した意味や価値を持つようになった。ここへきて瀬戸芸が非常にクローズアップされているのは、足をしっかりとその土地に置き、固有の条件の中でものをやっていかなければならなくなってきているからだろう。今まで美術は「動産」としての価値だったが、場所に深くかかわった「不動産」にもう一度、ならざるをえなくなっている。今後、日本を牽引する政策として観光とともに芸術文化による地方創成がものすごくクローズアップされると思う。
 芸術祭は長期にわたって開催されるので参加する作家にとって世の中の動きと無縁でありえない。コロナ禍によってグローバリゼーションとはどういうことかみなさん感じ、今回、ロシアのウクライナ侵攻が起きた。考えられないような事態だが、ウクライナ、ロシアのアーティストは大変な思いをしている。瀬戸芸はずっと多様性を求めてきた。日本に来たことのない国のアーティストを可能な限りお呼びしようと思っている。瀬戸内という固有の地形、気象、生活、歴史によってできてきている地域。それが過疎によって相当傷んできている。その地にしっかりと足をつけながら世界の多様性とともに生きる。これが瀬戸芸の精神だ。ウクライナ、ロシアのアーティストもそうした意味でかかわっている。作品の中にウクライナを意識した作品もある。
 瀬戸内海は太平洋に面した最も素晴らしい港だ。日本列島の面積は世界で61番目だが、日本列島の外周距離、海岸線の長さは6番目。瀬戸芸は最初から海の復権を掲げている。アートの展覧会だが、人がアートを持ってきて何かをやるわけではない。その土地の暮らしとともに見えてくる世界をやろうとしている。
 歴史をみると海はゴミ捨て場になり、隔離しやすい場所になっていった。産業廃棄物の不法投棄、赤潮や公害といった環境破壊、過疎高齢化、産業の衰退…。島や海はどんどんダメになり、一言でいうと海から隔絶していた。そこで3年に1度国際芸術祭をやろうとなった。足は地域に置き、意識は世界全体から学ぶ。
 毎年、世界の英知との勉強会をやり、できるかぎり若者にバトンタッチしていく。そこで生まれるさまざまな縁が地域の短期的、中期的な活動にかかわってくる。これが縁をつくるということだ。これがなければ長期間なかなかやれない。
 アーティストは地域を発見する。土地の人が見つけられないものを見つける。空き家などその土地にとって大変なことでも価値になる。そこで交流が生まれ、その過程で島が開かれていく。瀬戸芸のリピーターは4割を超える。3年に1回のリピーターだけではなく毎年、毎シーズンのリピーターがいる。これが魅力だ。3年間1100日のうち芸術祭は3シーズンでもせいぜい100日だ。残り千日をどうやるかが非常に大切だ。ボランティア組織が生まれ、恒常的なネットワークが生まれている。残り千日をつなぐことが地域を開く。芸術祭は一つの旗なのだ。
 アートにはそれ自身の発信力や魅力がある。それを空き家掃除から始めて人に伝えていく。最初は赤ちゃんのように弱いアートでも、育て伝えていくプロセスに大きな可能性が出てくる。瀬戸芸が開く美術の可能性。今後も「行って良し、来られて良しの芸術祭」であり続けたい。(加藤 正文)

ゲスト略歴(講演時)=1946年、新潟県生まれ。東京芸術大卒。71年、母校の学生や卒業生らと「ゆりあ・ぺむぺる工房」をつくり、展覧会やコンサート、演劇の企画・制作に関わる。82年、株式会社アートフロントギャラリーを設立した。地域づくりにつながるアートプロジェクトの第一人者として知られ、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」(2000~)、「瀬戸内国際芸術祭」(2010~)の総合ディレクターを務める。ガウディブームの下地をつくった「アントニオ・ガウディ展」(1978~79年)、米軍基地跡地の街をアートの街に変えた「ファーレ立川パブリックアート」(2014年)なども手掛けた。2003年にフランス芸術文化勲章シュヴァリエ、ポーランド文化勲章、12年にオーストラリア名誉勲章・オフィサーを受章。17年に朝日賞受賞、18年には文化功労者に選ばれた。