事務局発56号

 前号からわずか半年の間に、歴史の教科書に必ず記される出来事が2つも起きた。2月24日のロシアによるウクライナへの侵攻、7月8日の安倍元首相への銃撃事件だ。第二次世界大戦以来の欧州での国家間の「戦争」と元首相の「暗殺」を、関連付けて考えてしまう。
 ウクライナの市民や街の悲惨な状況を、テレビやネットで見せ続けられ、わたしたちの心は荒んでいく。ノンフィクション作家の保阪正康さんは、週刊文春7月21日号で、戦争が人々に与える心理的な影響に「自分の正義を守るためには、暴力(武力)が必要」という「暴力の正当化」があると書く。
 報道によると、銃撃した男の犯行動機は、母親の宗教団体への妄信によって家族が崩壊した恨みを、その友好団体にビデオメッセージを送った元首相を殺害することではらそうとしたというものだ。男とみられる人物によるツイッターの書き込みには、元首相を支持する内容が多かったが、昨年秋にネットで流れるメッセージを見つけ、支持が恨みに一転したという。ウクライナの戦争はそれを暴力にエスカレートさせることを決定づけたのか。
 安倍元首相の訃報に、プーチン大統領は、母の洋子さんと昭恵夫人あてに丁重な弔電を送っている。外交辞令といえばそれまでだが、「彼を知るすべての人の心に(彼についての記憶は)永遠に残る」との感傷的な内容は、27回もの首脳会談を重ねた相手だからこそではないか。
 国会で岸田首相は否定したが、安倍氏を特使としてモスクワに派遣することで、ロシアと直接、対峙する欧州、米国とは異なった立場から、早期停戦の道筋を開けた可能性はゼロではない。凶弾はその望みも砕いた。
 世界的な物理学者のアインシュタインと心理学者のフロイトの往復書簡を収めた「ひとはなぜ戦争をするのか」(講談社学術文庫)が、読まれている。「人間を戦争から解放できるのか」をテーマに手紙が交わされたのは1932年。翌年にはドイツでヒトラーが政権を握るなど、欧州を焼き尽くした第一次世界大戦の教訓が生かされず、新たな紛争の火種が世界各地で燻っていた。
 アインシュタインは、すべての国が主権の一部を放棄し、国家間の問題を任す強い国際機関をつくるべきだが、現実には困難としたうえで、「人間には憎悪にかられ、相手を絶滅させようとする本能的な欲求が潜んでいる」と戦争抑止に悲観的な見方を投げかけた。
 対してフロイトは、確かに人間は破壊を求める「死の欲動」を持つが、「文化の発展」が欲動を抑え、「戦争の終焉に向けて歩み出すことができる」と答えた。文化の発展によって、「体と心の奥底から」戦争を嫌悪する平和主義者が生まれ、彼、彼女らが大多数を占めることで戦争は終わる――。回答は迂遠だ。最高の知性2人の警鐘にもかかわらず、第二次世界大戦が起きた。戦争のない世界への道のりは絶望的に遠いのか。 
 関西経済界のリーダーの一人、生駒京子さん(プロアシスト社長)はかねがね「宇宙の大統領になりたい」と公言している。無限の宇宙への無邪気なあこがれからだ。大阪市内で7月5日に開かれたフォーラムで生駒さんは、「人類は戦争のエネルギーを世界平和と宇宙開発に向けるべきだ」との「宇宙・世界平和宣言」を提唱した。ウクライナの戦争も念頭に置いたものだ。荒唐無稽といってはならない。国境はもとより地球を超える視点を持つことも「文化の発展」ではないか。
(田中 伸明)