様々なメディアが現地に入り日本人の視点で取材すべきだ 現場を直視しないと身体に関わる部分が薄まっていく

2022年7月14日
ジャーナリスト、映画監督  
綿井 健陽わたい たけはる 氏
「ウクライナ取材の現場から」

 今日は取材映像をお見せする。モザイク処理をしていない遺体の映像もあるが、了承してほしい。
 安倍元首相が銃撃されて殺害された事件では、2発目が当たった後の映像がネットメディアに流れている。喉元を撃たれて倒れる映像だ。しかしテレビニュースでは流れていないと思う。僕は流すべきだと思う。被害者は元首相であり、しかも選挙演説中。公人中の公人だ。例えばケネディ大統領が暗殺された瞬間の映像は今でも見ることができる。安倍元首相が撃たれた瞬間の映像はテレビに流れないままでいいのだろうかと思う。
 戦争・紛争報道では、いつのころからか遺体を見せないようになった。実際に起きていること、特に戦争現場には遺体が必ずあるのに、それを報道しないのは隠蔽されているような気もする。
 僕は戦争・紛争報道に90年代後半から関わってきた。9・11後のアフガニスタンの取材映像からお見せする。2001年11月のアフガニスタン北部。タリバン支配下にはなかなか入れなかったので、反タリバンの地域に入った。北部同盟がカブールの制圧に乗り出す時だった。アラブ人義勇兵の遺体があちこちに横たわっていた。カブール市内を北部同盟が制圧したが、昨年、当時撤退したタリバンが再び政権を取り戻した。
 それから2年後、イラク戦争が起き、バグダッドに入った。開戦の10日前だった。フセイン政権下で、戦争が始まると思えないほど落ち着いていた。アフガンもイラク戦争も日本の報道はフリーランスが主体だった。
 今から7年前に「ジャーナリストはなぜ『戦場』へ行くのか――取材現場からの自己検証」(集英社新書)という本を出版した。新聞、テレビの記者やフリーのジャーナリストとの共著だ。シリアで後藤健二さんが拘束、殺害された1年後。実はこの本を出した時に、ベトナム戦争当時、UPI通信にいた今城力夫さんから「興味深かったが、タイトルには納得いかない。ジャーナリストはなぜ戦場に行かないのか、と問いかけるべきじゃないのか」と言われた。
 なるほど、と思った。90年代はジャーナリストが戦場で取材するのは当然のことだったが、紛争や戦争地域で日本人の人質事件が起きてから二の足を踏むようになった。海外メディアは取材しているのに日本だけはフリーランスしかいないという時があった。フリーかマスメディアかという対立的な捉え方ではなく、さまざまなメディアが現地に入って日本人の視点で取材した方がいいと思う。
 2月24日のロシア軍のウクライナ侵攻時、キーウには朝日、共同、TBSの記者がいたし、ウクライナには在留日本人が100人以上いたが、3社とも3~5日後にキーウから撤退した。そして、1カ月ぐらい日本のマスメディアが首都にいないという空白が生まれた。
 僕はキーウに日本メディアがいないのはまずいなと思い、3月上旬に日本を出て、中旬にウクライナに到着した。今起きている戦争を伝えないといけないと思った。
 ここからウクライナの映像をお見せする。僕が日本を出たのが3月13日、ポーランドとの国境を越えてウクライナに入ったのが17日。キーウ到着は23日。ロシア軍侵攻から3週間~1カ月後だった。

ウクライナ軍制圧後の幹線道路は、ロシア軍用車両の「墓場」と化していた。同4月3日キーウ郊外で≪撮影:綿井健陽(アジアプレス)≫

 日本での報道は地図を用いた戦況の解説が多かったけれど、ウクライナ人の表情、姿、言葉をなるべく見たいと思った。まずはキーウ近郊の映像だ。負傷者が運ばれてきて病院に移送されていく。断続的に砲声が聞こえる。リュック一つを持ち、ペットを連れて避難している人が多かった。電気、ガス、水、ネット環境は確保されていた。地下鉄の運行は1時間に1本ぐらい。構内が避難先になっていた。
 ウクライナは集合住宅がものすごく多い。高層住宅の上階の人ほど避難していた。上階ほど空爆の音を近く感じて怖いそうだ。避難時に地下まで降りなくてはならないという事情もある。
 3月下旬にキーウ近郊の町に行けるようになった。イルピンという町に向かう途中、集合住宅の前で自炊している人が多かった。若者や子どもたちは避難するケースが多いが、お年寄りは残っていた。国外に出てしまうといつ戻れるか分からないからだ。ウクライナ軍が制圧したため、道路脇にロシア軍の戦車、装甲車が転がっていた。4月に入っても寒かった。ロシア軍装甲車の脇にロシア兵の遺体があった。若い、小さい、アジア系の人だった。ロシア軍の戦死者の大半が若年層、貧困地出身、少数民族だという。モスクワなど裕福な地域の出身者は少ない。

焼死体で見つかったウクライナ人の遺体。銃撃された跡がある。同4月5日キーウ近郊ブチャで≪撮影:綿井健陽(アジアプレス)≫

 BS朝日で6月12日に放送された番組をお見せする。
 〈4月5日午後1時30分です。ブチャという町に入りました。私の後ろではウクライナ人の遺体を袋に収容しています。殺害され、且つ焼かれた遺体です〉(綿井)
 〈この日、ウクライナ軍は身元を確認するため、検視を行っていました。拷問された可能性のある遺体も。ブチャで少なくても410人の遺体が確認され、9割が銃で殺されたと判明しています〉(ナレーション)
 次はモザイクが入っていないバージョンをお見せする。
 銃殺及び処刑後、焼かれた遺体だ。子どももいる。
 どうですか? さっきのモザイクが入った映像と比べて。僕は戦争現場での遺体、死体の映像は、特にテレビニュースは流すべきだと思う。視聴者から苦情、抗議がきたとしても、だ。現場を直視しないと人間の身体に関わる部分がどんどん薄まっていく。視聴者からは「食事時だからやめてほしい」という抗議が多いのだと思うが、そういう視聴者に合わせる必要はないと思う。「食事の手を止めてでも見てほしい映像なので流しています。ご了承ください」と言い返せばいい。
 ウクライナでけっこう驚いたのが、戦争らしい現場もある一方で、路上に花屋さんが多かったことだ。戦時下だからこそ生活に潤いがほしいのだという。また、自宅の台所を臨時ネイルサロンにして営業している人もいた。隣のリビングは臨時美容室で、1日1人ぐらい髪を切りにきたと言っていた。戦時下でも日常生活の延長をしようというのが印象的だった。でも、戦争と隣り合わせだから、日常生活が突然、爆弾で切り裂かれる。

 

ロシア軍の空爆にもかかわらず、路上で花を売る人が増えた。2022年3月27日キーウ市内で≪撮影:綿井健陽(アジアプレス)≫

 ウクライナでは今、街中のあちこちに不発弾が見られる。大きい物は3㍍ぐらい。ロシア軍の仕掛け爆弾も残されている。そうやってありとあらゆる形で死に追い込んでいくのが戦争だ。(渡辺 暖)

講師略歴(講演時)=1971年大阪府生まれ。98年からアジアプレスに参加。東ティモール独立紛争、米国同時多発テロ事件後のアフガニスタン、イスラエルのレバノン攻撃など、世界の紛争・戦争地域を取材、ニュースリポートやドキュメンタリー番組を制作。イラク戦争報道で「ボーン・上田国際記者賞」特別賞、「ギャラクシー賞」報道活動部門・優秀賞など。ドキュメンタリー映画『Little Birds イラク 戦火の家族たち』(2005年)『イラク チグリスに浮かぶ平和』(2014年)を撮影・監督。著書に『リトルバーズ 戦火のバグダッドから』(晶文社)、共著に『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)など。今年3月から4月にかけて、ウクライナ戦争を取材。