大阪には伸びるチャンスがいっぱいある 堂々と「ついてこい」と呼びかけてくれればいい

243回 2016127

自由民主党幹事長
二階 俊博 氏
「強靭な日本、関西を創るために」

大阪万博の成功目指す
2025年の万博に向けた超党派の議員連盟の設立総会で、わたしに議連の会長をやれということになり、大阪万博のお手伝いをすることになった。
大阪の景気は徐々に上向いているようだが、このごろは万博が景気押し上げの起爆剤になる、と言う人も多くなっている。大阪のみなさんに是非協力をいただいて万博を成功させたい。
私はこの議連が超党派であることを念頭に置いて、各党の関係者にも協力を呼びかけ、いっしょにやっていきたいと思っている。
しかし、やはりここに集まっているような皆さんの力がなければならない。みなさんそれぞれ、(1970年の)万博の思い出があると思う。それを基礎に、下敷きにして、新しい世代にも希望をもってもらえる万博にしなければならないと思っている。 

 大阪府知事には「苦言」
万博となると、大阪が日本を代表して国際的に開催することになる。しかし、そこの知事(松井一郎大阪府知事)が政府与党とまったく没交渉ということでは国際的なことをやろうと言っても、大阪ひとりでは何もできない。
わたしも関西の人間だから、地元のことだと思って「何もできない」と言っている。(関西)全部を糾合していくことを気にかけなければならない。
(府知事は)首相官邸には不思議とやってくるが、自民党がつくっている政権だということを時々忘れてしまう。
自民党に対して、(知事が)大阪、関西を代表して「協力してほしい」と言ってくる度量がないと大きな仕事は成功しない。こちらはいっしょに協力しましょうよ、という構えはしているが、(何をしましょうかと)注文を取りに行くような話でもない。(知事に対しては)もっと真剣に、真面目にやりなさいよ、という気はある。
 イデオロギーはイデオロギーとしてあっていい。しかし、本気で万博を成功させたいと考えているなら、そうした対応が出来なければ政府も動かない。そこのところをちゃんとやったらいいと思っている。 

大阪はリーダーシップ発揮を
大阪はもっと頻繁に(東京に来て)、もっと激しくアピールしていかないといけない。
大阪は思いついた時にはバタバタっとやって来るが、その中に大阪府知事もいなければ大阪市長もいない。話をまとめていこうと思っているなら、行政はノータッチ、政府にどうぞお願いします、ということにはならんと思う。
この大阪が中心になってもう一度、(1970年の)万博の時のような気持ちになって、大阪が復活の狼煙(のろし)を上げていくことが大事だ。
(自分の選挙区がある)和歌山は小さいし、力もないが、何をすればいいか言ってもらえれば大阪に全面協力する。われわれは大阪の家来だと思っている。ただ、親分がどっち向いているか分からないようであったとすれば残念だ。
 大阪には伸びるチャンスがいっぱいある。これを活用して大阪が再起することを周辺(の府県)は期待している、大阪がしっかり立ち上がって、堂々と「ついてこい」と呼びかけてくれればいい。 

長期政権は大事なこと
 安倍晋三首相はせっかく若くして登場したのに、思うように運ばず、いったん野に下られた。そこで再起を考えながら一生懸命努力されたのだと思う。その努力が実って、第一次政権の時とは比べものにならないぐらい自信に満ちている。
首相は国際社会でも指折り数えるほどの政治家として、名前も顔も売れている。今までこんな首相はいなかった。
総理大臣として選んだのに、とっかえひっかえ、野球のピッチャーを代えるようなことではいけない。国際社会では、前にも会ったことがあるという人をいっぱいつくることが大事だ。それでなくても日本は国際社会では弱いのだから。
ある程度の長期政権は大事なことだ。ご本人も自信をもっているし、結構なことだと思う。

災害対策も「おもてなし」
1854年、(安政南海地震の際)和歌山県広川町で、現・ヤマサ醤油の七代目、浜口梧陵(ごりょう)が稲わらに火をつけ、村人を津波から守った。わたしはこの日を「世界津波の日」にしようと取り組んできた。今は観光スポットのように、日本国中から見学に来てくれる。
私は実現に向け、100カ国ほどの東京の各国大使館に手紙を書き、国会議員を派遣して了解を得たので、最終的には世界142カ国が共同提案国になることを了解してくれた。
また通常は、日本が提案するから気に入らない、という国もあるが、昨年12月の国連総会では全会一致で「世界津波の日」を制定することができた。
日本はいいことをしてくれた、日本についていこうという国が増えていくことが大事だと思う。今、多くの外国人が日本に遊びに来てくれている。2025年の大阪万博もある。そうした人たちを災害から守るという「おもてなし」を考えるのも大事なことだ。
(平間 俊行)

 講師略歴(講演時)=19392月和歌山県御坊市生まれ。61年中央大学法学部卒、衆院議員秘書を経て75年和歌山県会議員に当選、県議を2期務め、8312月の衆院選で旧和歌山2区から自由民主党公認(田中派)で立候補し初当選し、以後、現在まで11期連続で当選。93年に小沢一郎氏らとともに自民党を離党、新生党を結成して以降、政党の離合集散の中で、新進党、自由党、保守党、保守新党と所属を変えたが、各政党で幹事長や国対委員長など重要ポストを務め、自由党時代の99年には、第2次小渕改造内閣で運輸大臣・北海道開発庁長官として初入閣した。
 2003年に自民党に復党。05年の郵政解散による総選挙で党総務局長として自民圧勝を導き、同年10月、第3次小泉改造内閣の経済産業大臣に入閣。06年国対委員長、078月には党三役の総務会長に就任した。その後、08年に福田改造内閣、麻生内閣でも経産大臣を務め、第2次安倍政権下の149月、党総務会長に再登板、さらに168月の党役員人事で谷垣禎一氏の後任の党幹事長に就いた。
 長年の国会対策で培った広い人脈、卓越した調整力、巧みな根回しで知られ、数少ない党人派の継承者。日中間の友好に力を注ぎ、中国とのパイプ役としても政権で重要な役割を担っている。津波災害への警鐘を鳴らす「稲むらの火」の舞台となった広川町(和歌山県有田郡)が選挙区内にあり、「世界津波の日」(115日)の提唱者でもある。
 「下民易虐、上天難欺」が信条。「民を虐げるのは簡単だが、そのような事をすればたちまち天に知られ厳しい罰を受けるだろう」との治世者に対する戒めだ。