第235回 2016年2月22日
オリックス株式会社
シニア・チェアマン 宮内 義彦 氏
「今後の経済と経営環境」
企業経営に何が一番大事か考えると、会社のかじ取り鍵となるマクロ観をしっかり持つことだ。マクロで間違ったら、ミクロ(自分の事業)で頑張っても何にもならない。私の現在のマクロ観について、①世界経済の大きなうねり②企業経営は今後どういう方向に行くべきか③関西経済についての私見――の順でお話ししたい。
①今年に入って、マーケットが予想外の荒れ方をしている。世界中の経済政策が、出口の見えない迷路に入っているといえる。リーマンショックまでは米国を中心に、先進国が世界経済を運営していた。リーマンショックで、BRICsなど新興国と資源国が世界経済を引っ張る図式になった。ところが1年ほど前から、中国経済の変調と石油に代表される資源価格の変化で、世界を引っ張る主役がいなくなった。唯一の希望だった米国も金融緩和しか手がない状況だ。
日本もアベノミクスと称していろいろやったが、金融緩和に伴うデフレ脱却の部分しか成功していない。大砲をどんどん撃っても、地上戦をやらなくては戦争に勝てない。空爆に頼るシリア情勢と同じだ。金融緩和のバズーカ砲に対し、経済政策においての地上戦とは、経済の構造改革だ。財政問題や、税と社会保障の一体改革、何よりも人口減少に対して何も手を打てていない。安倍政権が目の前に山積している問題に手を打てないのは、非常に心配だ。
世界中に経済成長して豊かになりたい国があるのに、世界中で金融を緩くして金余りの行き先がない、ミスマッチが起きている。この出口は見えない。今年に入って暗雲が出てきた形だ。
②昨年は、コーポレートガバナンス元年と言われた。社外取締役や投資家規範などについて、やっと動き始めた。欧米企業に対して収益性が半分と言われる日本企業の経営形態の形を改めようという動きだ。しかし形だけ整えてもよくならない。
バブル崩壊後、売上高が伸びない中で日本企業はコストカット経営に入った。しかし、企業はリスクを取ってイノベーションを行わなければ成長はない。失われた10年、20年でコストカッターが経営者になってしまったが、活力を得るには新しい経営者像、イノベーターを探し出さねばならない。今やらないと日本は負けてしまう。
③神戸生まれで大阪の会社に入った私は、関西びいきのバイアスがかかった人間だ。しかし大事なのは、日本全体を考えることだ。日本を考えた時、現在の東京1極集中は、災害対策一つ取ってもリスクが高い。双眼、2極を考えると、スペインや韓国一国に匹敵する経済力を持つ関西しか、中央にものを言える存在はない。しかし、関西経済は企業数をとっても長期低落を続けている。これに歯止めをかけるには、税制などでインセンティブをつけて企業誘致をする、政治的に中央に提言し関西を復権させる力をつける、など、関西の経済力を落とさないよう連携・団結してほしい。消費者庁の一部や官公庁などの関西移転が言われているが、中小企業庁が大阪にきてもおかしくない。これら省庁移転で流れが変わる可能性はある。経済界と政治ががっちり結びつくべきだ。
2016年、世界経済も日本経済も不安定さが懸念されるが、一企業としてはどんな場面にもチャンスはある。常に前向きにチャンスを捕らえ、新しいことを提供していくのが企業のつとめと考える。(小笠原 敦子)
講師略歴(講演時)=1935年神戸市生まれ。
58年関西学院大学商学部卒業、60年米ワシントン大学経営学部大学院修士課程(MBA)修了後、日綿実業(現双日)入社。
米国のUSリーシング社に研修派遣されリース業のイロハを学んだ後、64年に日綿実業や三和銀行などが中心となり、
大阪市北区にオリエント・リース(現オリックス)が設立され、13名の創業メンバーのひとりとなる。
80年に45歳の若さで社長兼グループCEOに就任。2000年、会長兼グループCEO。14年6月に33年余り務めた経営トップを退任し、シニア・チェアマンに。
活動の場は経済界にとどまらない。91年に海部政権の臨時行政改革推進審議会の部会の専門委員に就任。96年の橋本政権から06年の小泉政権まで、規制改革関連会議の議長を務めるなど、10年以上にわたって政府の規制緩和に主導的な役割を担った。01年にはコーポレート・ガバナンスの普及・啓蒙活動を目的に日本取締役協会を設立し会長に就任、長く企業統治の必要性を説いてきた。新日本フィルハーモニー交響楽団の理事長を務めるなど音楽・文化への造詣も深い。プロ野球・オリックス・バファローズのオーナーの顔も持つ。