戦争経験から命の大切さ訴え ー「百寿」の千玄室さん講演

※講演の模様をYoutubeにアップしました※

第292回 2023年4月28日
裏千家大宗匠
千 玄室せん げんしつ 氏
「平和とは」

 平和は非常に難しいことだ。口々に叫んでも平和はやって来ない。平和はどこから来るのか。人は欲望だらけで、2人集まったらけんかに、それが大きくなったら戦争になる。人間の欲望がなくならない限り、戦争は収まらないと、私は思う。
1943年、当時の大学生は徴兵猶予願いを出し、卒業まで徴兵検査は許される。ところが、文系学生は取り消すという。晴天の霹靂だった。
私は千家の茶の嫡男として、1923年に生まれた。15代を継ぐ者として、幼少から文武両道で鍛えられた。そのおかげで、徴兵検査に合格。海軍を志望し、選抜された。43年12月、舞鶴海兵団に入隊し、その後、徳島の海軍航空隊に入って教育を受けた。
毎日毎日、練習機「赤とんぼ」で飛ぶが、だんだんガソリンがなくなってくる。「お前たちに時間はない。死にに来たんだ」と言われ、死にものぐるいで(飛行技術などを)身に付け、海軍少尉に任官した。
私は入隊時、茶碗などが入った少し大きめの茶箱を持っていた。みんなは私がお茶の家の息子と知っており、何かあれば「お茶にしてくれや」と(言った)。苦しい中、私の周囲であぐらをかいて、みんなが私の点てたお茶を取って「あーうまいな」と飲んだ。お袋がお茶を点ててくれた(ことを思い出し)、みんな「お袋に会いたいな」と(話していた)。
(先祖の)千利休はいろんな合戦の場で、お茶を点てたとの記録がある。茶室ではなく、ござを敷いて、鎧を着たまま合戦前にお茶を飲んで出ていく。500年後の自分も、こうして利休様と同じようにお茶を飲ませている。みんなが「ほっとする。気持ちが落ち着く」といい、いろいろな話をする。何のために死にに来たのか、平和が来るようにわれわれがその盾になるという仲間もいた。
そして45年春、私たちに命令が下った。希望するかどうかではなく、特別攻撃隊になった。同年5月、私たちは鹿児島の基地に行き、順次(空へ)出て行った。最後に私の茶を飲み、「お母さーん」と叫び、お袋にもう一度会いたい、頭をなでてもらいたいという幼子のような気持ちで。
自分たちが死ねば、少しでも世の中が助かると(考えていた)。敵を少しでもやっつけることで、自分の家族が助かってくれたら、自分が死ぬのは当然だと。それでなければ敵に殺され、蹂躙される。そのためにも私たちが死ねば、何とか食い止められるのではないかと。
仲間はみんな出て行った。本当に惜しい。仲間は今も沖縄の沖に沈んでいる。私は沖縄へ行くと、海上でお茶を点てる。穏やかな波の中、一碗のお茶が沈み、碧海の海がグリーンに染まった。私の耳にまだ「お母さーん」と叫び、死んでいった仲間の声が聞こえる。

戦後、友人から、米国のダイク代将が早稲田大での講演で、日本にはちゃんとした民主主義があると話したと聞いた。祖先の千利休が戦国の時代、「和敬清寂」との教えを唱えたと。和はお互いに和やかに。敬はリスペクトする。そして清らかさ、動じない心。武家も当時は刀を抜き、茶室に入った。茶室では上下の差別もない。お茶のできるものが茶席をリードするとの話をしたという。だから日本は米国の民主主義を見習わなくてもいいという話で、大変感激した。
(ただ、日本は)すべて米国任せ。日本は独立国だ。その独立国がいつまでも米国に守ってもらっている。みんな平和ボケしている。戦後78年間で、日本人はどこにいったのか。
私たちには先祖がいて、大切な命をいただいている。命の「い」は生きる。私は戦争に行って、初めて命の大事さを思った。爆弾で焦土と化し、原子爆弾を最後に落とされた。こんな悲惨なことはない。今、日本人は平和ボケで、(そのことを)全然忘れている。何で米国と戦争をしたのか。そして、米国に守ってもらうから戦争しなくてもいいと。自衛隊は軍隊ではない。どこが専守防衛ですか。
こんな日本でいいのか。悔しいよりも悲しい、情けない。日本は情がある国。手を握り合って、畑を耕してきた。天の恵み、神の恵み、仏の恵みによって、私たちと先祖は生きてきた。そして命を今、いただいている。一人で生まれて育ってきたのではない。
命の「の」は生きる望み。そして「ち」は、先祖からの血だ。命を大事にしなければならない。そのため、自分の国を自分で守るという気持ちを持たなければならない。いざとなれば助けてくれるなんて、とんでもない。いつまでも米国に頼ったって、いざとなれば、どこまで助けてくれますか。自分の国が大切です。

私は国連の親善大使に任命された。もう100歳だが私には気概がある。一度、78年前に死んできた男だ。地獄を見て、生き返ってきた。多くの仲間が後ろについてくれている。
未来は誰にも分からない。それより今が大事だ。今、いろいろなことをしなければ、自分の孫、ひ孫の時代に日本はどうなっているのかを考えていただきたい。平和という言葉を使わなくてもいい世の中にしていきたい。
日本が受けた原爆ほど恐ろしいものはない。日本は世界唯一の被爆国だ。米国に行けば、日本は助かったと、冗談じゃない。私はいつも言う。オバマ大統領は来たが、大統領がもっと早く広島や長崎へ来て、自分たちのやってきたことを顧みてほしいと。
私は幸いなことに、お茶をもってどこへでも入っていける。どんな方にでもお茶を差し上げる。そういう意味で、お茶というのはありがたい。
お茶は難しくなく、これほど総合的な伝統文化はない。お茶室でみんなが和やかに、一つの心を持って手を握り合えば、日本人はもっと幅の広い人間世界を創っていくことができる。今は、自分だけでしょ。そういう観念を是正していかなければならない。
昔はどんな家でも肩を寄せ合い、みんなが一つのものを分け合っていただいていた。親を中心に、いただきますと感謝し、一碗のご飯を頂戴する。そういう気持ちで家庭生活で感謝を捧げるなら、素晴らしい日本の国を取り戻すことができる。私たちは日本の国を独立国として、穏やかな世の中を創っていかなければならない。それを懇願している。
(上原 栄二)

  

 

千 玄室(せん・げんしつ) 氏
大正12(1923)年京都府生まれ。同志社大学法学部経済学科卒業。ハワイ大学修学。韓国中央大學校大学院博士課程修了。文学博士。昭和39(1964)年千利休居士15代家元を継承。裏千家今日庵庵主として宗室を襲名。平成14(2002)年嫡男に家元を譲座し、千 玄室に改名。
「一盌(わん)からピースフルネスを」の理念を提唱し、国際的な視野で茶道文化の浸透と世界平和を願い、各国を歴訪。
現在の主な役職に外務省参与、ユネスコ親善大使、日本・国連親善大使(外務省)、日本国観光親善大使(国土交通省)、公益財団法人日本国際連合協会会長、公益社団法人日本馬術連盟会長、在京都ペルー共和国名誉領事、京都大学大学院特任教授、ハワイ大学教授。国内外で名誉博士号を多数受けている。紫綬褒章、藍綬褒章、文化功労者国家顕彰、勲二等旭日重光章、文化勲章、内閣総理大臣顕彰、レジオン・ドヌール勲章コマンドゥール(仏)、大功労十字章(独)、聖マウリツィオ・ラザロ騎士団最高位大十字騎士勲章〈ナイトの称号を受ける〉(伊)、独立勲章第一級(UAE)、グラン・オフィシャル勲章 外交功労勲章(ペルー)等受章。小松市名誉市民、京都市名誉市民。ホノルル名誉市民『Key to the City』など海外でも多くの名誉市民を受けている。