第269回 2019年11月13日
NPO法人西成チャイルド・ケア・センター代表
こども食堂ネットワーク関西代表
川辺 康子氏
「にしなり☆こども食堂の取り組みから~地域みんなで子育て・子育ち応援~」
大阪市西成区の北西部の地区では、ひとり親世帯が約4割、就学援助率が約7割、生活保護世帯が約3割を占めるなど、困難な暮らしを抱える家庭が多い。2010年ごろ一部の小学校で学級崩壊が起こり、「子どもたちの居場所をつくりたい」との思いから、放課後に子どもたちが集まれる「あそびの広場」を地元の市民交流センターに開いた。当初は食堂をやろうと思って始めた活動ではなかったのだ。
小学校の協力で子どもたちは集まったが、顔を合わせると毎日けんかばかり。「楽しく遊べるように」と集めたおもちゃもけんかの道具にしかならなかった。イラ立ちを隠そうともしない子どもたちを見ていて気づいたのは「十分に食事をとれていないのではないか」ということ。おなかがすくと私だってイライラする。そこでポケットマネーで食材を集め、「料理教室」を開くことにした。
料理教室を開いた日は大きなけんかがなくなり、本を読んだり、オセロなどのゲームに興じたりと、子どもたちは落ち着きを見せ始めた。「空腹を満たし、子どもたちのイラ立ちを抑える」狙いはうまく行くかに思えた。
だが、簡単ではなかった。エプロンや三角巾を持ってこられず、料理を手伝わない子どもが出始め、真面目に料理に取り組む子どもとの間に亀裂が生まれた。
「言われたことができん人は来たらあかんで」
「そんなん言うならメシなんか要らんわ」
言い争いが始まる度に「振り出しに戻る」思いがした。子どもたちが落ち着ける場にするための手探りは続き、2012年にたどり着いたのが、子どもも大人も一緒にあたたかいごはんを食べてほっとできる場所「にしなり☆こども食堂」だった。運営はさまざまな方々の寄付、食材や物資の支援、ボランティアらに支えられている。
こども食堂に行き着くまでの試行錯誤の中、ある男の子と出会った。髪の毛はボサボサで伸び放題。風呂に入っていないのか足の臭いが気になる。絵に描いたような貧困家庭の子だった。両親とは一緒に住んでおらず、血のつながらない10代の女性と共同生活をしていた。
「ごはん、食べにおいで」と声をかけた。きっと跳び上がるほど喜んでもらえると思ったが、その子は「何しに行かなあかんの」「恵んでもらうほど困ってないわ」と言う。予想外の反応だった。きっとその子の目には私の声掛けが「上から目線で、してやっている」と映ったのだと思う。
放課後に開いた学習支援には、小学校の先生に連れられて参加するようになった。ごはんも毎回食べるようになったが、こちらが近づくと「来週は行かへん。なんで行かなあかんの」の繰り返し。「おれのこと、どう思ってるんや」と怒りをぶつけられても、私には「大切に思ってる。出会えて良かったよ」と教科書的な反応しかできない日々が続いた。
その子は夜遅くまで食堂に残ってしまうことが多かった。ある日、私に用事ができたため、「早く帰らんと家の人が心配するやろ」と声をかけてしまった。言った後に「しまった」と思ったが後の祭り。その子は「おれがどんな思いで家に居るか、お前に分かるんか」と激高。そのとき、私はとっさに言い返していた。
「そんなん分かれへん。でもな、あんたの隣に居て一緒に考えることはできるよ」
どう応えるのが正解なのか、私には分からない。でも、その日を境にその子は怒りをぶつけてくることはなくなっていった。私自身が信用してもらえる大人になるまで半年もかかってしまった。
食堂では子どもだけではなく、親も無料でごはんを食べられる。それを聞いて「とんでもない。親が依存から抜け出せない」と言う人も居る。でも、自分の母親に頼りきって子育てしてきたのは私だって同じだ。
娘は今二十歳で社会福祉士の道に進もうとしている。その娘が「社会福祉の勉強をすればするほど、うちはネグレクト家庭やったことが分かる」と言う。娘が2、3歳のころに私は地域支援の仕事に就いて、夜遅くまで家に帰れない毎日だった。「早よ帰ってきて」と言われても、娘を実家に預け、母に子育てを依存しきっていた。そんな母を世間では「良いお母さん」と呼ぶ。こうした助け合える関係を社会の中にいかにつくっていくかが大切だ。
暮らしが困難なのは、家庭が落ち着かず、親たちに子どもたちを見る余裕がないから。生活保護やひとり親など、厳しい環境に置かれた大人に対する世間の目はとても厳しい。でも「自己責任」と切り捨てる社会はしんどいだけだ。苦しい生活を強いられる大勢の母親たちと関わってきたが、こうした母親たちは間違いなく社会がつくってきた。制度や専門知識がないのが問題ではなく、周囲に「心がない」ことが問題なのだ。
日ごろから心ある声掛けを続ければ、本当の思いを伝えられる関係になれるし、人は変われる。ごはんを食べるだけの人が支える側に変わる。関わっている私たちが変わるからだ。私たちが変わらなければ社会は変わらない。点だった一人ひとりが食堂で出会って線になり、線がたくさんできてお互いを支えられるようになる。
今取り組んでいるのは、児童相談所に行く前に子どもと親とが駆け込める居場所「にしなり☆つながりの家」を建てること。子どもを地域で育て、経験の浅い母親が子どもと共に「育ち直し」ができるような場所にしたい。 こども食堂を始めたとき、「ごはん食べさせても何にもならない」と笑われたが、今では全国約3700か所に広がった。つながりの家も全国に広がることを祈りながら活動を続けていきたい。(田畑 悦郎)
ゲスト略歴(講演時)=1966年大阪市西成区生まれ、西成育ち。2000年に子育てサークルからボランティア活動を開始。01年に「わが町にしなり子育てネット」の子育て支援員、07年に「西成識字よみかき・日本語教室」のコーディネーターに就くなど地域に根差した活動を続けてきた。10年「こどもの居場所」を開設、12年に「にしなり☆こども食堂」をスタートさせた。16年には「こども食堂ネットワーク関西」を立ち上げた。18年に特定非営利活動法人・西成チャイルド・ケア・センター代表。
現在は「暮らし」が崩壊し、人とつながることが困難な孤立一歩手前の親子を支え、こどもを地域で育て、親の育ちもサポートすることを目指した、こどもシェアハウス「にしなり☆つながりの家」建設プロジェクト(寄付活動)の推進に奮闘している。