第264回 2019年3月19日
カプコン代表取締役社長 COO
辻 本 春弘氏
グローバルに拡大するeスポーツ市場~国内外の動向とその戦略~
カプコンは世界屈指の開発力や技術力を強みに、業界を代表するゲームソフト会社で、1983年に大阪で創業した。大阪ならではの面白いゲームをつくり、世界の方々に楽しんでもらうことが企業理念だ。
ゲーム市場はグローバルで拡大し、モバイルゲームが成長を牽引している。2017年の市場規模は約1200億ドルで、22年には1・4倍の1700億ドルを突破する見込みだ。来年以降、第5世代(5G)移動通信システムが本格的に普及する大きな変化が起こることが見込まれており、当社も次世代に向けた技術の研究を進めている。
カプコンの基本戦略を説明する。近年はプレイステーション4などのゲーム専用機のほか、パソコンやスマートデバイスなどでゲームを遊ぶ環境が非常に多様化している。多くのプラットフォームでコンテンツの同時開発や同時発売を進める「マルチプラットフォーム戦略」を幅広く展開する。また「ワンコンテンツ・マルチユース戦略」として、オリジナルゲームのコンテンツはゲーム機にとどまらず、多様な事業で対応している。スマートフォン向けなどのゲームでライトユーザーの取り込みを図るほか、「ストリートファイター」や「バイオハザード」などをハリウッドで映画化し、当社のゲームの認知度向上に努めている。ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)や飲食店などのイベントにも積極的に参画している。
eスポーツは単なる賞金付きゲーム大会ではなく、年齢や性別、体格差、身体能力を問わず、障害のある方も健常者とともに楽しめる夢のスポーツだと考えている。ほかのスポーツに比べて大きな競技場や練習場が必要なく、大きな投資もいらない。必要なものはゲーム専用機やパソコンで、オンラインで練習し、大会にも参加できる。
海外で1990年ごろに誕生し、2000年ごろに「eスポーツ」という単語が使われ始めた。若年層への絶大な集客力を武器に、世界各地でさまざまな取り組みが走りだしている。日本でも18年2月に「日本eスポーツ連合」が設立され、18年8月のジャカルタ・アジア大会では公開競技に採用された。
eスポーツの市場規模は、スポンサーシップや放映権、広告収入の増加で19年の約11億ドルから22年には17億ドルを突破すると予測されている。周辺ビジネスも拡大しており、プロ選手やeスポーツ大会が増加しているほか、実況や解説者といった職種が生まれ、企業によるプロチームも創設されている。視聴者数はインターネットの力により、19年の約4・5億人から22年には6億人を超える見通しだ。国別の市場規模は、米国、中国、韓国で半数以上を占め、日本のeスポーツの市場規模は5%と発展途上だ。
カプコンは「ストリートファイター」を活用し、米現地法人は14年から世界40カ国以上を舞台に年間チャンピオンを決定する「カプコンプロツアー」を展開している。国内では昨年9月の東京ゲームショウで日本初の賞金付き大会を開催し、約3700人が集まった。
トッププロ向けの取り組みだけでなく、野球やサッカー同様、アマチュアや学生チームレベルでの普及や地域の連携などスポーツとしての裾野拡大が重要と考える。昨年7月にプレーヤーの発掘を目的とした「ルーキーズキャラバン」を札幌、盛岡、常滑、草津、広島、熊本の6地方都市で開催した。さまざまな年代や外国国籍の方も参加してもらい、幅広い層への普及の手応えを感じた。引き続き今年も地方でのキャラバンを開きたい。
今後は将来の収益化を見据えた市場開拓や、eスポーツの競技人口の拡大を目指す。戦略としてプロプレーヤー活躍の場を創出し、ビギナー・アマチュア層の掘り起こしを図る。「ストリートファイターリーグ」は現状6チームを組成しており、今年も開催するが、来年度以降はチームを地域に分け、eスポーツを活用した「地方創生」を目指したい。地方自治体や地域企業の方々にチームを支援してもらう。
単なるブームではなく、eスポーツを5年、10年、15年、20年と長い道のりをかけて世界の方々に浸透すべきミッションとしてやっていきたい。(増田 和則)
ゲスト略歴(講演時)=1964年大阪府生まれ。大学在学中からアルバイトとしてカプコンで働き、機器の修理などの現場業務の経験を積む。87年に大学卒業と同時にカプコンに入社。当時の新規事業だったアミューズメント施設運営事業の立ち上げに参加し、業界ナンバーワンの高収益ビジネスモデルの確立に貢献した。97年に取締役に就任し、以後は家庭用ゲームソフト事業の強化に注力。常務取締役(1999年)、専務取締役(2001年)を経て、2004年からは全社的構造改革の執行責任者として、開発・営業・マーケティングを一体化したコンシューマ用ゲームソフト事業の組織改革、海外事業の拡大などに携わる。06年に副社長執行役員となり事業全体を統括。07年7月には創業者である父・憲三氏(現、代表取締役会長 最高経営責任者(CEO))から社長職を引き継ぎ代表取締役社長 最高執行責任者(COO)に就任した。「困難に直面しても投げ出すことなく、頑張り抜く性格」が、周囲の評価。経営と執行の両輪でバランスをとりつつ、スピード感のある会社経営を推進する。