若者の発想取り入れ 新しいグランドデザインを

第263回 2018年12月18日 

関西経済同友会代表幹事・コクヨ代表取締役会長
黒田 章裕くろだ あきひろ

これからの大阪・関西~万博・IRを契機とした都市ブランド形成に向けて~


 2025年に万博が大阪にやってくる。現地で誘致活動を行っている際、特に発展途上国の皆さんからは、平生の日本の支援への感謝の言葉をいただいた。私が会った2425か国の人は全員、票を入れてくれたのではないかと感じたほど、つながりの強さを感じた。
 そして、日本への期待の高さを感じた。日本は140万人近くの署名を集めたが、こういう活動は先進国ではありえない、よくぞ日本は国民の声を集めた、その日本がやる万博だから是非見てみたい、と多くの国の人から言われた。大変うれしかったが、同時に我々は大きな十字架を背負ったともいえる。世界から期待される万博をこれからどう作るか、難しい点もあるがやりがいがある。
 この2年間、世界的都市間競争を勝ち抜くにはどうすべきかを考えてきた。大阪の文化は、日本では素晴らしいと言われているが、世界ではまだまだだろう。

 以前は東京一極集中に対し、大阪はどうかと言う事に関心をもたれた。今は大阪が独自に光り、際立った価値を持てるかどうかが大事になった。大阪は学ぶ、働く、遊ぶ機能があふれている。しかし、都市間競争に勝つためには、もっと際立った魅力を作るべきだろう。
 今の大阪の位置づけを世界の中で見ると、なかなか先は遠い。(大阪で日本最初の万博が開かれた)1970年と比べても下降している。前回の万博と次の万博では、狙いも成果も大きく違うだろう。しかし幸い、万博、MICE・IR(国際的イベント・複合型リゾート)、WMG(ワールドマスターズゲームズ)といったように、これからプロジェクトが目白押しだ。存在、強さを際立たせるテーマ、メッセージとしては世界中でもないと思うくらいの大きなチャンスだ。MICE・IRが大阪に来れば、世界に遜色ない大きなものができる。夢洲がどうなっていくか、万博とMICE・IRがキャスティグボートを握る。
 日本は(少子高齢化など)社会的課題の先進国だが、是非それを解決して万博で見せてほしい、と言われている。新しい時代、大阪と関西が置かれている立場からやるべき事は多くて難しいが、期待をされている。
 日本は、標準化の横展開をすることで例のない高度成長を遂げ、世界屈指の経済大国になった。同じ物が同じ価格、同じ品質で日本中に届くように、モノづくりも配送も全部やって来た。あとはデザインや色で差を付けるくらいしか残っていない状況で、まだ標準化の横展開をしている。われわれの先輩たちは、標準化の以前に大変な努力をして、日本初、世界初のモノづくり、サービスを続けて来た。われわれは何かをゼロからつくる努力を怠ったのではないか。
 そのために重要なことが産官学の連携だ。日本の連携は世界レベルからすればまだまだ。大阪・京都・神戸には優秀な知の集積がある。社会のために何が出来るかを考え、学生、先生、企業がいかに多くの結果を出し続けるかが大事だ。
 (イスラエルの)テルアビブでは、ベンチャーが貧困・断絶という社会課題の解決のために研究を行っている。テクノロジーを使うことが研究の条件だ。NGOに金を出してもその地域がよくなるだけ。しかし、新しい技術を使うと国全土の改善になる。テルアビブでは大学が研究のために企業に金を出す。大学も、ベンチャーとどれだけ協業したかが、論文の引用例とは違う評価軸になりつつある。日本では、福岡市が九大も入ったFDC(福岡地域戦略推進協議会)というプラットフォームを作った。
 こうした産官学連携を行えば、世界で一番効果が出るのが大阪だ。万博、MICE、うめきた、中之島、WMG、この5つのプロジェクトを時系列で漫然と実行するだけでは、ただの打ち上げ花火に終わる。これを踏み台にして、次のステージ、新しいグランドデザインに向かって進む必要がある。
 今回の万博誘致に関しては「WAKAZO」が活躍してくれた。若い人は、将来に向かってジャンプするチャンスを狙っている。産官学、若者の力をいかに組み合わせ、新しい未来のグランドデザインへの踏み台にするか。それが、われわれの使命であると同時に絶好のチャンスだ。
の専門家は、2025年にはその職から外れているかも知れない。若者の発想を取り入れる事が重要だ。御堂筋が大阪の発展に尽くした役割は非常に大きかったが、その御堂筋に代わるものが産官学の連携と若い人の力ではないだろうか。(藤田 敏伸)

ゲスト略歴(講演時)=1949年大阪市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、祖父・黒田善太郎氏が創業し、父・暲之助氏が社長を務めていたコクヨ株式会社に入社。77年取締役就任後、常務、専務を経て、89年、当時社長の叔父・靖之助氏の急逝に伴い39歳で社長に就任した。2015年、社長を長男・英邦氏へ譲り、代表取締役会長に就く。05年藍綬褒章。

 財界では13年、関西経済同友会の常任幹事、17年に代表幹事に就任、関西経済発展のために日々活動している。「現地現物」がモットーで、関西経済同友会で行われる視察には国内外問わず積極的に参加し、現地の人々と議論することが何よりの刺激となっている。
 祖父と父からの教えを受け継ぎ、妻とともに2人の息子と娘を大切に育ててきた結果、18年にベスト・ファーザー賞in関西(経済部門)を受賞。次の目標は「ベスト・グランドファーザー賞」というが、その賞そのものはまだない。趣味はクラシック、ジャズの鑑賞。座右の銘は「露堂々(ろどうどう)」。真理は隠れることなく目の前にはっきりとあらわれているとの意。