健全な危機意識がビジネスを進化させる


定例会の模様をYoutubeにアップしました。


第285回 2022年4月19日

関西経済同友会代表幹事(プロアシスト代表取締役社長)
生駒 京子いこま きょうこ
「関西経済界の未来」

 1994年4月に会社を設立した。それまでの約3年間は専業主婦だった。大学を出て結婚後も働いていたが、親が共働きだったので専業主婦の生活を知らず、一度やってみようと思った。当時はバブル経済崩壊で世の中が大変な時期。時間ができ、新聞やテレビをじっくり見ていると、「このままでは、日本沈没だよ」と思った。それが起業のきっかけだった。
 賃貸アパートに暮らし、財産もない、車もない、稼ぎもない。ないない尽くしの専業主婦だったが、金融機関が一発で300万円を融資してくれた。20㌻ほどの企画書にあったキーワードのおかげだ。
 (①1人でも、お客様のために何かできる②自分の得意な分野を専門にお客様のお役に立つことができる③企業におけるR&D=研究開発=部門の業務はより細分化され、必ずアウトソーシングされる――などと表示されたスクリーンを見ながら)
 この中に答えがある。①や②などは私の理念。正解は③。これはビジネスモデルだ。当時の研究所は外部を頼れず、大学の先生とのコラボレーションだけで切磋琢磨し、世の中にモノを出していた。そこを何とか加速させたい、私を信じてください、信じてくれたら素晴らしい世界をつくりますよ、と訴えた。金融機関の人は「コロンブスの卵や」と驚いた。
 わが社は他社の課題解決のお手伝いをする会社として誕生した。小さい会社だが世界一を目指している。企業というのは、グローバルを見なければいけない。創業した頃、行政機関などから「外へ打って出なくてもいい。大企業がちゃんと戦ってくれるから、あなたたちは大企業を見ていればいい」と言われた。だが、大企業を支えるための会社なのだから、わが社こそグローバルにならなければならないと思い、動いた。

 中小企業の役割は二つある。「いつもの仕事」と「新しい仕事」だ。いつもの仕事とは下請けの仕事。新しい仕事とはニッチな分野に挑戦していくこと。いつもの仕事はもっと強みを生かす。新しい仕事は、他社にはない新たなことに挑戦する。これを繰り返していくことで成長できる。
 AI(人工知能)やロボットが出てきて「仕事がなくなるのではないか」と不安がられるが、そんなことはない。雇用環境の分岐点がきているだけであり、変化に対して健全な危機意識を持つことが大切だ。企業規模や産業を超えてビジネスが進化していく。そして業務の効率化、産業の集約化が加速する。誰もが少人数で世界的にビジネスができるようになり、本当にグローバルな競争時代がやってくる。
 関西には底力がある。グローバル市場にもっと打って出るべきだ。そのためにも関西から世界へ人的ネットワークを築いていきたい。
 関西は、オランダなどの国内総生産(GDP)と同程度の域内総生産(GRP)があり、一つの国と同じぐらいの力を持っている。いろいろな商売が始まり、文化、芸術、芸能が発展した。食もそう。日本の素晴らしさの原点が関西にはある。かつて「大大阪」と呼ばれた時代もあった。住む所と働く所が近接しており、居住性が高い。私学を含めて多くの大学が集積したトップレベルの学術都市でもある。ポテンシャルが高く、世界有数の都市圏だ。こうした力をうまく活用しなければならない。
 JR大阪駅北側の再開発区域「うめきた2期」はスタートアップの拠点になると聞いている。誘致が課題となるが、成功してほしい。(うめきた1期の大型複合施設である)グランフロント大阪ができた時、京都のいろいろな会社に「出店してくれませんか」と声を掛けると、「なんで大阪に行かなあかんの。僕らはここから世界を見ているから、行く必要ない」と言われた。では、なぜ大阪の会社は東京にいくのか。すごく疑問に思う。大阪から世界を見ればいい。東京をまねする必要は全くない。
 2025年には大阪・関西万博が開かれる。万博は実証実験の場と言われている。技術だけでなく、ビジネスの実証実験の場として考えるべきだ。(黒住 正義)

ゲスト略歴(講演時)=1956年、京都市生まれ。大学卒業後、大手ソフトウエア会社勤務、専業主婦を経て94年に有限会社プロアシストを設立。2001年 株式会社に改組。経済産業省「ダイバーシティ経営企業100選」、内閣府「女性のチャレンジ賞 特別部門賞」などを受賞。21年5月に関西経済同友会代表幹事に就任した。大阪商工会議所一号議員、大阪産業局理事、日本WHO協会理事、生産技術振興協会理事、大阪大学 招聘教授なども務めている。宮沢賢治の「風の又三郎」が大好きな作品で、尊敬する経営者、ジャック・ウェルチや松下幸之助の著書もよく読む。趣味は「スポーツ全般」、ピアノも幼いころから習い、発表会などでの演奏を通じ舞台度胸が養われたという。「感謝の心・働くことは活きること」が座右の銘。