文化庁の職員が京都で仕事や生活をすれば、文化が日常に 欠かせないものだと理解できる

239回 2016719

元文化庁長官
近藤 誠一 氏
「文化庁京都移転~その意義と今後の課題」 

 42年間、外務省を中心に宮仕えをし、最後は文化庁に3年いた。文化の力を一人一人が認識し、社会に浸透し、それが外交に反映される。それが日本にとって大事だと唱え、実践を試みてきた。
 日本人は、文化が大事だ、心の豊かさが大事だ、それが欲しいと思っている。それを満たす文化財も人もたくさんある。しかし、幸福度は低い。文化に関する需要と供給を結ぶ仕組みづくりを怠ってきたからだ。
 311の直後、「東北の方々が苦しんでいる時に文化なんてとんでもない」と自粛ムードが広がった。4月中旬に当時の仙谷官房長官に仁義を切って「もう自粛をやめましょう」との通達を文化庁長官として出した。そうせざるを得ないほどの沈滞ムードだった。それは文化芸術の力をわかっていないから。あの時、「トヨタは生産をやめろ。こんな時に車をつくって金をもうけるな」という声は一言も聞かなかった。
 こうした状況を脱するにはどうしたらいいか。しかし、国が中心になって文化芸術を担うのは難しい。領土を守り、政治的独立を保ち、経済を栄えさせ、いざとなったら軍隊をもって敵と戦う。それが国家のメーンの姿だ。国家ではできない、地域で何かできるのでは、という時、文化庁の京都移転が決まった。
 京都移転で何が期待できるか。一つは地方創生。もう一つは文化政策の行き詰まりを転換できるきっかけになることだ。
 京都には首都機能の一部、文化政策を担う資格がある。文化都市で、人口、経済力、交通の要路もある。雇用創出や移転に伴う経済効果が期待できる。文化庁の職員が京都で仕事、生活をすれば、文化が日常生活に欠かせないものだと理解できる。
 文化庁長官の時、試験的にアーツカウンシルの導入を始めた。文化庁の京都移転は、戦略的な官庁に脱皮するチャンス。この際、アーツカウンシルを本格的に導入し、文化庁は政策づくりに特化すべきだ。
 デメリットはたくさんある。移転に伴うコストや庁舎、職員の引っ越し……。行政府の中で文化庁だけが孤立するおそれもある。国会答弁も「YOU TUBE」でやるわけにはいかない。文化庁が担当している著作権や宗教法人の関係者、外国の大使館とのコンタクトもとりにくくなる。
 私は基本的に移転に賛成だ。賛成してよかったとなるには、プラスを最大にし、マイナスを最小にすること。難しいのは、プラスが出るには時間がかかるし、マイナスはすぐに表に出ることだ。
 移転時期は、2020年の東京五輪・パラリンピックの前か後かで議論が分かれている。前にやるのは難しいかもしれないが、一気にやらないと、2020年の後、モメンタムが失われているかもしれない。
 そういう意味で今が勝負。ここ数年で思い切ってプラスを出す。少なくともプラスの可能性を広く国民に訴える努力をしないと、極めて重要な移転がぽしゃってしまうかもしれない。大阪を中心とした京都以外の関西圏も全面的にサポートし、その他の県の協力も得る。そういうことをしていけば、文化庁の京都移転は、歴史的な快挙になる可能性が十分ある。
(中西 豊樹)

講師略歴(講演時)=1946年神奈川県生まれ。71年東京大学教養学部教養学科イギリス科卒,同大学院法学政治学研究科を中退し,72年外務省入省。
7375年英オックスフォード大留学。国際報道課長、在米大使館公使、経済局審議官、OECD事務次長、広報文化交流部長、国際貿易・経済担当大使などを歴任。
200608年ユネスコ日本政府代表部特命全権大使、08年駐デンマーク特命全権大使。
107月から137月まで文化庁長官。退官後は東大特任教授、東京芸大客員教授、京都市芸術文化協会理事長、東京都交響楽団理事長、日本舞踊協会会長などを務める。
「文化を日本外交の中心とおくべき」との確信から、積極的に海外との知的交流、文化交流を推進し、各国に広い絆と人脈を構築している。
理論と実践双方のバランスがとれた国際舞台での活動は評判が高い。
数々の国際シンポジウムでの活躍や、石見銀山に続く平泉、富士山(三保松原を含む)のユネスコによる世界文化遺産登録など、多くの成果を挙げてきた。
06年に仏レジオン・ドヌール・シュバリエ章(日仏文化交流への貢献)、10年にデンマーク王国 ダネブロー勲章大十字章などを受章。
座右の銘は「至誠」。