第223回 1月23日
㈱フェリシモ社長
矢崎 和彦 氏
「ともにしあわせになるしあわせ」
私どもの会社では「ともにしあわせになるしあわせ」というスローガンをすごく大切にしている。幸せを作って売る会社になりたい、作る人と受け取る人相互の幸せを目指そうと考えている。
社名「フェリシモ」は、ラテン語で至福を意味する「felicity」と、(強調を表す)イタリア語の接尾語「ssimo」を融合させたオリジナルの言葉で、「最大級で最上級の幸せ」を意味する。事業性、独創性と社会性が一つになる企業を目指したい。
阪神大震災のあった1995年の9月、本社を大阪から神戸に移した。もともと配送センターの用地を探していて、気に入った土地で条件も合致し、決まりそうになって「だったら本社も神戸に移そうよ」と考えた。94年12月に社員に発表し、95年2月の移転予定で引っ越し作業を進めたが、1月17日に震災が起きた。
(移転すべきかどうか大きな決断を迫られたが)どうすれば移転できるかしか考えられなかった。根っこにある神戸の魅力は変わらないし、地震があったことで神戸への愛着がより大きく育まれた。
9月の移転前日、全従業員向けにメッセージを書いた。もともと空間的移動として意思決定したが、神戸に引っ越すということは「20世紀から21世紀への引っ越し」のような意味がある。皆で頑張ろうと伝えた。
神戸に来て、社会とのかかわりの中で仕事をとらえられるようになった。95年から始まった神戸復興支援プロジェクトはたくさんあるし、いまだに続いているものもある。「私たちは、壊れた道路やビルは修復できないけど、人の心、気持ちの修復にはつなげられるかもしれない」と。いろんな企業が、いろんな観点で社会とかかわれると思う。
毎年1月17日になると、会社の窓から改めて神戸の街を見る。「(街並みが)ここまで戻ってきた。よかったな」と思う。2011年のその日も「少しずつ記憶が薄れていくことはいいんだろうな」と思って街を見ていた。
けれど、その年の3月11日、(東日本大震災で)神戸でも強い揺れを感じ、「大変なことになった」と思った。翌日、役員会を招集したが、会議室に入ると若い社員がいっぱい集まり、(被災地に)何ができるか、何をすべきかをホワイトボードにびっしりと書き上げていた。そんなことから、自分たちができる範囲の支援をしていきたいと、いろんなプロジェクトを始め、今も続けている。
今年創業50周年を迎えるが、さらに50年後のフェリシモをどうしていきたいか、どうなっているべきかを考え続けている。われわれは巨大な会社になりたいとは思っていない。経営理念とお客さまの思いが一致するような会社になりたい。
小さな一歩一歩を重ねることによって、不可能なことが現実になっていくのだと思う。過去も現在も大切だが、一番大切なことは未来だと思って日々仕事に取り組んでいる。より意味のある事業体になっていきたい。
神戸が成し遂げた奇跡的な復興を、自分たちのところに引きつけ、何ができるかを考えたい。
(内田 透)
講師略歴(講演時)=1955年大阪市生まれ。78年3月学習院大学経済学部を卒業し、同4月に㈱ハイセンス(現フェリシモ)入社。84年4月常務取締役マーケティング本部長、85年4月専務取締役、86年4月取締役副社長を経て、87年4月から現職。2005年3月、神戸大学大学院経営学研究科を修了しMBA取得。神戸商工会議所二号議員、神戸経済同友会代表幹事(07年4月~09年3月)、神戸市デザインアドバイザリーボード、神戸商工会議所デザイン経営推進委員会委員長、日本マーケティング学会理事、公益社団法人企業メセナ協議会評議員などを務める。第30回毎日経済人賞(2010年)、神戸市産業功労者賞(12年)を受賞。