人口減少社会を どうやって和らげながら 持続的に成長発展できるかに 目標は尽きる

第261回 2018年10月17日

京都府知事
西脇 隆俊にしわき たかとし

『次代を担う子どもたちが希望の持てる「新たな京都」へ

 中学・高校時代は野球部員だった。6年間薫陶を受けた監督は、新聞の取材に「進学校で校長が厳しいので週3日しか練習できません」と答えて対戦相手を油断させ、それも「作戦」というユニークなひとだった。だが個々の力量では負けていても、知恵を使い、チームワークで勝つという経験ができ、人格形成につながった。
 大学を出て建設省(当時)に入省した。山形県庁に出向したこともあり、山形新幹線の開通にもかかわった。(当時の知事が、)在来線である奥羽本線にミニ新幹線を乗り入れるため、在来線の軌道の幅を広げ、車輪の間隔だけを広くした車体を第三セクターで作らせ、それをJRに持ち込むという、当時としては考えられないような荒業を行ったのを間近で見て、知事が必死で動き説得すれば、どんな制度も変えていけると実感した。
 復興庁では、宮城県の復興担当者から仮設住宅の設置に大切なポイントを聞かされた。年齢構成やコミュニティの維持に配慮した総合的な街づくりが、いかに重要かと気付かされた。
こうした経験を京都府の知事としてどう生かしていくか。課題の第一は「少子高齢化」と「人口減社会」への対応だ。人口減少社会をどうやって和らげながら持続的に成長発展できるかに目標は尽きる。特に公約の1丁目1番地の「子育て環境日本一」の実現だ。子育てしやすい環境は、お年寄りも含めてすべての世代が暮らしやすい社会になる。出会いから結婚・妊娠・出産・教育・就労支援まで切れ目のない施策をしたい。
 防災・減災対策も重要な課題だ。災害はすべてかたちが違うが、教訓は必ずある。就任してすぐに、それぞれの災害を検証し、緊急参集チームや災害時応急対応業務のマニュアルを作成した。すばやく支援を実行していくためにはマニュアルを軽視してはいけない。
 統計では全国でいちばん„避難したがらない"京都府民をどうやって避難行動に結びつけていくのかは頭の痛い問題だ。ダムの放水管理や、倒木に強い電気ケーブルの敷設、停電対策を優先する病院のリスト化、クルマを避難場所にする人の把握や、避難所でのペットの対応など、きめ細かな問題に取り組んでいる。
足もと好調な京都の産業についても、安心はしていない。京都は伝統と多様性の強みがあり、コンパクトな街でまとまりはいいのだが、次世代のベンチャーが育っているかどうかが心配だ。
 観光についても、京都市内は活況だが、一人当たりの観光消費額は市外は市内の10分の1しかなく、いかに北と南に延ばしていくのかが課題だ。「海・森・お茶・竹の里乙訓」を「もうひとつの京都」として売り出すには他府県との連携も必要だ。文化庁の京都移転や亀岡市にできる京都スタジアム(仮称)にも期待している。2020年の東京オリンピック・パラリンピックの時には、文化面のイベントを是非とも京都・関西で実現し、外国人観光客を呼び寄せたい。
清水 紀陽士)

 

 講師略歴(講演時)=19557月京都市生まれ。79年東京大学法学部卒、建設省入省。国土交通省広報課長、同総合政策局長、官房長、国土交通審議官などを経て2016年復興庁事務次官。184月の京都府知事選に出馬し初当選した。京都市出身の知事は府政150年で第51代の西脇氏が意外にもまだ2人目。

 中学、高校の野球部でポジションはサードとピッチャー。野球漬けの毎日の中、とくにサードを経験したことで、「内野の仲間をカバーすること、ボールがそれた時に備えることなど、チームワークの大切さを学んだ」。生来のスポーツマンは、50代半ばになってマラソンも始めた。第1回京都マラソンをふくめ、国内の大会にこれまで10度以上出場し、いずれも4時間前後の好タイムで完走した。「今でも体を動かすことが一番の気分転換になる。これからも府内各地を駆け巡りたい」という。座右の銘は「雲外蒼天(うんがいそうてん)」。どんな試練でも、努力して乗り越えれば快い青空が望める、との意だ。