2017年関西プレスクラブ夏季会員交流会は7月14日、大阪工業大学梅田キャンパスのホールで開かれ、会員や招待者約120人が囲碁の井山裕太氏、師匠の石井邦生九段の「師弟対談」に聞き入った。この後、石井、井山師弟も参加しての交流会に移り、同キャンパス21階のレストランで、中国、インド、インドネシアの領事ら駐関西の各国総領事館からの参加者も交えて、夜遅くまで歓談が続いた。(牧 真一郎)
●最初の「師匠」は祖父
会の冒頭、6月に就任した溝口烈・理事長(読売新聞大阪本社社長)が挨拶。朝日放送の橋詰優子アナウンサーの司会で対談が始まった。
まず石井氏が囲碁の基本的なルールを解説。「将棋の場合は王様を取る封建時代のゲームで、囲碁は領土を取り合う近代的なゲーム」と、囲碁の特徴を表した。「同じことをやってよくも飽きないと思われるが、20手ぐらい打つと全く未知の世界に入っていく。一つ手が違えば、全くの別世界になる。同じ碁は決してない」と奥深さを説明した。
対局の碁盤のスライドを見ながら井山氏は「2か月ぐらいの前のもの。割と最近なので最初から並べ直せる。印象に残る対局は、何年も何十年もだいたい覚えている」と話し、天才の片鱗に会場から感嘆の声が上がった
話題は井山氏の囲碁との出会いに。「5歳のころ、父がテレビゲーム(スーパーファミコン)を買ってきて、横で見ていて興味を持ったのがきっかけ。囲碁と言うよりテレビゲームに興味があった。コンピューターと戦って遊んでいるうちにルールを学んだ」と振り返った。父にはすぐ勝てるようになり、アマチュア棋士だった祖父(鐵文氏)と対戦するように。「いつの間にかのめり込んでいた。自由なゲームなので、好きなようにできるところに魅力を感じた」と話した。
「最初の師匠」と井山氏が感謝する祖父について、石井氏は「おじいさんは強かったし、筋が良い。本当にうまく二段まで1年間で育てたわけだから」と存在の大きさを指摘した。少年時代について「他のテレビゲームや、外で遊ぶのも好きだった」と井山氏。石井氏も「イチローが好きで大きくなったら野球選手になりたいと話していた」と、井山少年の素顔を明かした。
○ネット対局1000回
小学1年の時、テレビ番組のアマチュア勝ち抜き戦で5人抜きした際に解説者として出演していた石井氏と出合った。石井氏は「この子を育てたら(将棋の)羽生さんみたいになるかもしれないと思った」と、計り知れない才能を直感した。「最初は弟子にするつもりはなかった。その子の将来に責任持たなきゃならないから。おじいさんが私の行く先々に連れてきて、だんだん情が移った」と、大きな決断だったことを明かした。
入門した当時について、井山氏は「(弟子になる意味は)分かっていなかったと思う。院生というプロを目指す所に小3で入ったが、絶対プロになるという意思も全然なかった。それまではおじいさんとやっていたので、純粋に同世代で打つことがうれしかった」と振り返った。
師弟の家は遠かったため、石井氏はインターネットを使った指導を選んだ。「芸事は手に手を取るように愛情込めてやらないと強くならないと思っていたが、やらないよりはやった方が良いだろうという軽い気持ち。ところが、これが功を奏した。全体の3分の2ぐらいがネットで1000局ぐらいやった。テレビだと私の顔が見えないから楽しくてしょうがなかったと思う」と言うと、井山氏は「先生に直接教わると、怒られないように打とうと萎縮したと思うが、画面通してだと伸び伸び打てたと」とネット対戦の効用を話した。
礼儀もきちんと教えたという師匠について「非常に優しい先生だが、背筋が伸びるということはいつまでたってもある」と井山氏。48歳下の弟子について石井氏は「孫みたい。怒ってやろうと思っても、あどけない顔をしているので、怒れなくて言葉を飲み込んだことが何度もあった。歳が離れていたから、優しく教えられた。伸び伸びと好きな手を打つということは、その中で養われたと思う」と話した。
●強さを支えるもの
子供の教育に囲碁を採り入れる意味について、井山氏は「海外では習い事としてやらせるということが認知されている。自分なりに考え、一局を作り上げるゲームなので、構想力、想像力には良いと思う」。石井氏も「想像力や計算力、判断力などが養われていく。今の子供には勝つ、負けるということをあまり教えないが、碁は勝つ喜びや負ける悔しさを通して、相手を思いやることを学ぶ」と、碁の教育的な意味を解説した。
「1局終わると2、3キロ体重が落ちていることも」と体力勝負であることも明かした井山氏は「スポーツと必要な筋肉は違うが、体が資本とは感じる」と述べた。また、強さの秘密を尋ねられると、「自分ではよく分からないが、周りが気づかない手を打つと言っていただくことが多い。自分では変わったことをしようと思っているわけではなく、やりたいようにやった結果。囲碁も定石がたくさんあるが、とらわれすぎず、やる価値があることは積極的に試していこうと思っている」と信条を話した。
弟子の強さを、石井氏は「手を読むスピードがものすごく速い。いろんな図を頭に描いて、選択肢が広い。いかに集中できるかも大事なので、体力的にも非常に恵まれていると思う」と評した。
験をかつぐかとの問いに井山氏は、「以前は勝率が良いネクタイとかを気にしたこともあるが、まんべんなく負けてきてネクタイが足りなくなってくる。食べたいものを食べるし、普段通りやる平常心を大事にしている。対局前に普段と違うことはやらない」と話した。「生涯で8割勝つ人はいない。どんなに強くても3割は負ける。負けても次の対局が一週間後に来る。勝っても負けても、前のことは次に持ち込まない。負けず嫌いだけど、長く引きずる方じゃない」と井山氏が自身を分析すれば、石井氏は「切り替えがうまい」と評した。
○将棋の新星・藤井四段へ
将棋の中学生棋士として注目を集める藤井聡太四段について「四段になる前からすごい人がいるとうわさを聞いていて、注目していた」と井山氏。雑誌の企画で対談した時の印象を「非常に謙虚で自分の考えをしっかり持っていた。これだけ注目されていても目先の勝ち負けだけでなく、もっと大きなものを見ているのだろうなと感じたし、共感できる部分も多かった」と振り返った。
藤井四段と弟子を比べながら、石井氏は「井山も12歳でプロになった。その時点で私より強かった。自慢話になるが、私もそんなに弱くはなかった。藤井君も大変だろうが、ぜひ井山を追っかけてもらいたい」とエールを送った。
人間との対局で注目されるAI(人工知能)について、井山氏は「全体を見て構想する大局観は人間が優れている。そこはAIが人間に追いつけないと言われていたが、ここ数年の進歩はすごい。ただ、対局してみて思うのは、部分的にはAIは間違えているところも多い。AIの良い部分と、まねをしてはいけない部分の見極めが大事になる」と指摘した。石井氏は「AIは1秒で何百万手を読むが、我々はせいぜい何十手ぐらい。人間はその場で最善を尽くすが、AIはその局面では少し悪くても全体を通して勝てれば良いという考え方。その辺はまねできないだろう」と違いを解説した。
●世界との戦い
話題は世界のライバルに。井山氏は「以前は日本が強かったが、ここ20~30年で変わった。今は強い人の数では中国。続いて韓国、日本は3番手。囲碁は日本では文化という位置づけだが、中国ではスポーツであり、体育局の管轄なので集団で育成している。英才教育のような形で徹底的に教え、弱い子は排除されていく形なので、天才は日本より出てくる」と見る。初めて中国に行ったのが小学3年の時で「日本では同世代に負けることがなく、当然優勝できるだろうと思っていったが、初めて年下にも負け、平凡な成績で終わった。世界は広いと身をもって感じ、世界を意識するようになった」と話した。
石井氏から「若い頃はまさか中国、韓国に負ける時代がくるとは思ってなかった。井山だけは、中国・韓国に負けていない。私が元気なうちに頑張ってもらい、中韓に勝って優勝して欲しい。それは私の夢」と、日本囲碁復活を託された井山氏も「中国に行ったときから世界一になりたいという夢を持ってやってきた」と応じた。さらに「囲碁を広めていくということが、棋士としての役割。小さい子で囲碁を始める子が増えれば、中国や韓国とも戦っていけるようになる。私が海外で対局して活躍することで、そうした子が1人でも増えてくれれば」と囲碁の普及を誓った。
石井 邦生(いしい・くにお) 氏
日本棋院関西総本部所属、細川千仭九段門下
1941年10月福岡県生まれ。56年入段。関西学院大中退、78年九段。本因坊戦リーグ入り2回、名人戦リーグ入り2回。2016年に公式戦1000勝を達成した。日本棋院関西総本部元院生師範。1973年、83年の日中囲碁交流の訪中団に参加。93年テレビ囲碁番組制作者会賞、09年第27回ジャーナリストクラブ賞受賞、17年宝塚市特別賞受賞。門下に井山裕太九段、兆乾二段。
井山 裕太(いやま・ゆうた)氏
日本棋院関西総本部所属、石井邦生九段門下
1989年5月東大阪市生まれ。97年小学2年生で少年少女囲碁大会優勝(山下敬吾九段と並び最年少学年記録)。翌年も優勝。2002年12歳(中学1年生)で入段。院生リーグ71勝8敗(48連勝)。05年16歳で阿含・桐山杯全日本早碁オープン戦に優勝、史上最年少記録、七段昇段。07年棋聖戦、名人戦リーグ入りし、3大リーグ入りの最年少記録。08年に名人戦に初挑戦、19歳3か月での7大タイトル戦も最年少記録。09年には20歳4か月で名人位を獲得し、7大タイトルの最年少記録を更新した。名人獲得により九段に昇段、史上最年少九段となった。2013年棋聖位を獲得し史上初の六冠。16年4月に十段位を奪取し七冠を達成した。同年11月の名人戦で敗れ六冠に後退したが、その後六冠すべてを防衛し、17年10月に名人位を奪還、再び七冠を独占した。
09年東大阪市長賞詞受賞、10年大阪文化賞受賞、16年内閣総理大臣顕彰、東大阪市名誉市民。
<囲碁界7大タイトルと主催者>
棋聖 読売新聞
名人 朝日新聞
本因坊 毎日新聞
王座 日本経済新聞
天元 神戸新聞、中日新聞、北海道新聞、西日本新聞、徳島新聞
碁聖 京都新聞、信濃毎日新聞、中国新聞などの新聞囲碁連盟と共同通信
十段 産経新聞
開会前に緊張気味の師弟(大阪工業大学梅田キャンパス「常翔ホール」)
石井邦生九段
井山裕太氏
石井九段
会場のスクリーンに映し出された小学1年の井山氏。このアマチュア勝ち抜き戦のテレビ番組で師弟が初めて出会った。(動画は読売テレビ提供)
交流会場には囲碁ファンも多く質問攻めにあう師弟