コロナ禍の6か月。感染による死者は7月下旬に60万人を超え、世界の震撼は止まらないが、きわめて個人的な6か月誌を綴ることを許してほしい。平凡な個人の日常が、1ミリの1万分の1のウイルスによって、いかに影響を受けたか、その一例を伝えようと思う
長男夫婦は今春、新しい命を授かったが、妻が臨月で入院しても1度も見舞うことができなかった。病院のすぐ近くの警察署でクラスターが発生、外部から病院への立ち入りが禁止されたのだ。初めて母親となる身は心細かっただろう。ようやく長男が付き添えたのは出産の時だった。しかし、その1度きり。赤ちゃんを2度目に抱いたのは退院して家に帰ってからだった。
ある市立病院の医師を勤める二男からは、5月ごろまでラインも電話1本もなかった。呼吸器は専門外だが、外来や休日・夜間の診療は交代で回ってくる。新型コロナによる感染症が疑われる患者もまじる。病院には専用ベッドも設けられた。義務感と緊張の毎日に違いない。一泊だけ実家に戻った彼と好物の焼き肉をともにすることが、できる限りの慰労だった。
そして、郷里の父が6月半ばに逝った。数年前から施設で生活を送っていたが、コロナにより面会はできず、とくに県外からは厳禁。地元にいる妹、弟から「父がほとんど食べなくなった」との連絡を受け、5月下旬に見舞いが許されたときには、70キロ近くあった体重が55キロまでやせていた。コロナ由来ではないが重度の肺炎で、病院に移ったが1か月もたなかった。家族が頻繁に顔を合わすことができていれば、父の体調の悪化にもっと早く気づけたかもしれない。
わが家は息子たちの独立後、夫婦と犬2匹の生活。新聞社時代の悪習で帰宅が遅く家での食事は週末だけ、じっくり話すこともなくなっていたが、この6か月の出来事は自宅待機と合わせ、夫婦で食卓を囲み、会話を復活させる状況をつくり出した。暮らしに回帰し、家族を思う気持ちを深くしたのは、人々にコロナがもたらした副効果だろう。
新型コロナウイルスはじめ、SARS、MERS、エボラ出血熱など近来の感染症拡大の原因は、地球環境の破壊にあると指摘する学者は多い。森林の伐採により、ウイルスや細菌の宿主となる野生動物が生息場所を追われ、人家に近づく。巨大ダムが川をせき止め広大な澱みができ、ウイルスを媒介する蚊が大量発生する。極端な話だが、人に対する地球の防御反応が感染症拡大なのではないか。
とすれば、人は考え直さねばならないことがあまりに多い。新型コロナウイルスが生活、社会、政治、科学さらに人の心にどのような影響、変化をもたらしたか、もたらしていくのか、より一層、目を凝らし、耳をそばだて記憶していきたいと思う。第一子の男子を長男夫婦は碧(あお)と名付けた。地球を象徴する名を持った孫がことばを理解したとき、伝えることができるように。(田中 伸明)