事務局発54号

 元ダイキン工業副会長で関西経済同友会代表幹事などを務めた井上義国さんが6月20日、九十歳で逝かれた。
 「井上さん」ではなく「よしくに(義国)さん」と呼ぶのが財界記者の習わしだった。上背のあるがっしりした体躯に容貌も怖そうだが、たまに見せるはにかんだ微笑が、失礼だが少年のよう。ファーストネームがふさわしい人だった。
 「よしくにさん」が財界人として挑んだ最大テーマは「地方分権」だ。政府の地方分権推進委員会の専門委員を長く務め、中央集権型の制度を変えようと取り組んだ。1999年に同委員会の勧告によって地方分権一括法が成立し、機関委任事務が廃止され、国と地方は「主従関係」から制度的に「対等」となる。2000年代初めにかけ、日本全体が地方分権に向け動き出すかに見えた。しかし、自民→民主→自民の政権交代を挟み、動きは急速に衰える。
 2017年2月、経営者や自治体トップがそろう関西財界セミナーに、「よしくにさん」は思わしくない体調をおして出席した。「一極集中の是正」を議題にした分科会で「地方創生」を「まやかしの言葉だ」と厳しく批判した。「地方創生」が安倍内閣の看板政策となり、地方分権が再始動するとの期待が高まる中での発言だった。「地方で知恵を出し、面白いと思ったらお金を出すという中に、中央集権型の評価の物差しがある。中央集権そのものだ」と舌鋒は衰えなかった。
 政府内部からの改革に見切りをつけた「よしくにさん」が目指した地方分権は、中央から与えられるのではなく、地方自らが独自性、パワーを生み出すことだ。自ずとお金も人も集まる。その試みが、関西の企業と自治体が環太平洋諸国のビジネスリーダー育成のために設立した太平洋人材交流センター(PREX)だ。構想段階から中心となり、理事長、会長を務め、亡くなるまで顧問だった。
 PREXは90年の発足以来、アジアを中心に154か国・地域の約1万8000人を受け入れ、その人材は母国に戻り企業幹部として活躍、現地で若手の育成に携わる。関西と海外の人流を厚くし、実利ももたらす。
 「アジアに傾斜すべき」とは、「よしくにさん」が導き出した「関西分権」の一つの答えだった。大阪本社の記者や部局の削減が進む新聞社に対しても、大阪に「アジア局」をつくるべきだと何度も指摘を受けた。
 財界セミナーを終えた「よしくにさん」の足どりは重かった。「あまり早く歩けないんでな」。近況とともに「地方分権は死語になってしもうた」とつぶやかれたと記憶する。会議場から玄関まで。京都国際会館の長い回廊を、肩を並べてゆっくりと歩いた。車に乗る一瞬、あの笑顔を見せていただいた。まとまったお話をしたのはあの時が最後だろう。
 ご遺族からいただいた丁重なお手紙に、亡くなる1週間前、「やることはすべてやった」と唐突に言われたと記されていた。「すべて」に後進に伝えたとの意味が含まれるなら、託された課題はずっしりと重い。(田中 伸明)