直木賞はオリンピックのようなもの。文学に関心のない人も関心を向けてくれる

第260回 2018年9月20日

直木賞作家
門井 慶喜かどい よしのぶ
「歴史に学ぶ」

 

 毎回、大きな話題を呼ぶ直木賞は関西にゆかりの深い文学賞だった。「銀河鉄道の父」で今年1月に第158回直木賞を受賞した寝屋川市在住の門井慶喜氏を迎えた定例昼食会。門井氏は直木賞誕生の歴史を語った。また、質疑応答では、「古代は奈良、中世は京都、近世は大阪、近代は神戸。関西は日本史のすべての時代の歴史がそろっており、それを感じながら日々を過ごせる」と、群馬県出身の同氏が関西で執筆を続ける理由を述べた。
 門井氏は「直木賞はオリンピックのようなもの。普段はあまり文学に関心のない人も関心を向けてくれる」。また、直木賞は「一種の文化財」といい、1935年に直木賞を創設した菊池寛について振り返った。
 菊池寛は京都大学出身。当初の純文学路線から作風を転換し、大衆小説『真珠夫人』で大評判となり、1923年に『文藝春秋』を創刊した。門井氏は「『真珠夫人』で大金が入り、雑誌創刊の原資になったと思う」「菊池寛は芸術家の枠を大きく外れている。『売れるから書こう』という合理主義者」と述べた。
 創刊時の『文藝春秋』を支えた作家が芥川龍之介と直木三十五。門井氏は「菊池寛は京大出身と言ったが、直木三十五は大阪生まれ」「菊池寛は流行作家の直木三十五を使いまくった。直木三十五は派手な生活をしながら、毎晩徹夜で書き続け、あっという間に体をむしばまれ亡くなった」。
 「直木三十五の死の翌年に芥川賞、直木賞が創設された。芥川はその7年前に亡くなっている。両賞創設の契機は芥川より直木三十五の死と思う。菊池寛はそれだけ、直木三十五に対して、罪の意識を感じていたのだ」。
 最後に、門井氏は「直木賞という名のオリンピック騒ぎは今後も続くだろう。連綿と続く歴史の末端に立たせてもらっているのは歴史好きの私としては大変光栄です。せっかく直木賞をもらったのだから、私も菊池寛ふうにこれを利用して、次に何をしてやろうかと考えているところです」と締めくくった。(湯浅 好範)