2025年の万博を生かさない手はない

第270回 12月24日
堺市長
永藤 英機 ながふじ ひでき
「歴史の町 堺の未来への挑戦」

 堺市は今年、市政130年を迎えた。130年前の最初の堺市は、現在の堺区の一部だけの小さなエリアだった。堺は昔「境」と書いた。摂津・河内・和泉の3つの国の境という意味。堺が一番栄えたのは中世、ドラマ「黄金の日日」に描かれた時代だ。宣教師フランシスコ・ザビエルは「この堺の港は、日本の中で最も殷賑(いんしん)を極めた裕福な町で、全国の金銀の大部分が集まる町」と記している。大坂夏の陣で敗れた豊臣は、堺の富が奪われるぐらいならと火を放った。その後、徳川により再建され、環濠に守られた碁盤の目の町ができあがった。
 今年7月「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産に指定された。日本には16万基の古墳がある。大きさで1位(仁徳天皇陵古墳)、3位(履中天皇陵古墳)、7位(ニンザイ古墳)が堺市にある。世界遺産に選ばれた理由は、発展した都市の中にこれだけ大きな古墳群が残っていること。歴史遺産を守り継いできたことが評価された。古墳が大きすぎて、地上からは全景が見えないため、気球を飛ばす計画を立案中だ。1回に30人程度が乗れるヘリウム気球で地上100~150メートルまで上がれば、古墳の鍵穴の形が俯瞰できる。
 次に、市長就任以来の市役所改革の取り組みについて紹介したい。公務員は昇進が遅いため、近年では優秀な職員が民間企業に転職してしまう現実がある。係長・課長・部長・局長への昇任の目安年齢を大幅に若返らせ、(例えば部長は50歳以上から39歳以上に)能力・実績に応じてやる気のある職員を積極的に登用する人事制度を構築した。先週、東京事務所を大阪府・大阪市と統合したが、この事務所長も課長補佐級から応募できる公募を実施し、積極的な広報活動のできる人材を当てたい。
 堺市の財政は、経常収支比率が悪化し、市債は増加して基金を取り崩している状況だ。副市長をトップとする財政戦略プロジェクトチームを8月に発足させ、戦略的な財務マネジメントの徹底を図っている。
 最近のトピックスとしては、オリンピックの聖火リレーは、大阪府では堺市の仁徳天皇陵前が出発地点に決まり、堺市出身の歌舞伎俳優、片岡愛之助さんがランナーに選ばれた。10月には、泉州の9市4町で協力して「泉州ご当地グルメサミット」を開催。泉州タマネギ、和泉蛸など、泉州には美味しい食材がたくさんあるが知られていない。今後も開催してPRに努めたい。さらに、自転車の町・堺をアピールするため、地元の島野自転車製の自転車タクシーも開発。来年以降、駅前と観光地を結ぶ予定だ。
 最後に、成長戦略をお話ししたい。大阪府の延べの外国人宿泊者数は、この5年間で3倍以上に急増しているが、堺市はほとんど伸びていない。観光客を堺に取り込めていない。大阪観光局に本格的に参加して、大阪の発展に貢献したい。大きなターニングポイントは2025年の大阪・関西万博。これを生かさない手はない。会場の夢洲と堺の港と関西空港を船で結び、来訪者を堺市にも呼び込みたい。
 2040年には南海高野線の連続立体交差が完成する。大きな町作りのタイミングであり「堺グランドデザイン2040」を策定中で、来年2月には概要を発表する予定だ。
 堺の人は町の歴史に誇りを持っている。しかし、多様な歴史や文化を生かし切れていない。点から面へ。ストーリーをつなげて、町の魅力を発信し、歴史の町・堺の未来を皆さんと作っていきたい。堺はもっと関西の役に立てます。関西の皆様にも堺に関心を持って頂いて、一緒に関西を盛り上げていきたい。
(木原 善隆)

 講演の後の質疑応答では、大阪都構想への対応を問われ、永藤氏は「議論の行方を注視するが、4年の任期中では堺市では議論しない」とあらためて静観する姿勢を示した。

ゲスト略歴(講演時)=1976年兵庫県芦屋市生まれ。堺市南区の泉北ニュータウンで幼少期を過ごす。99年大阪府立大学経済学部卒、民間企業でシステムエンジニアとして勤務後、オートバイで47都道府県をめぐり、バックパッカーとして世界一周も。この経験を通じ、大阪と国内外の都市を比較、大阪の可能性と希望に自信を持つ。
 大阪維新の会所属。2011年、堺市堺区選挙区から大阪府議会議員に出馬し当選。15年、二期目の当選。2019年6月、前市長の辞職を受け堺市長選に出馬し当選。第22代堺市長に就任した。同年伴侶も得た。
 趣味は街歩き、料理、建築鑑賞。好きな言葉は「一期一会」、座右の銘は「初心忘るべからず」。