ウイスキーづくりは科学では解明できない  創業者の考え方が今も地下水脈の様に流れている


講演会の模様をYouTubeにアップしました。

第289回 2022年11月16日
大阪商工会議所会頭
サントリーホールディングス代表取締役副会長
鳥井 信吾とりい しんご
「ものづくりと経営」

 サントリーの蒸溜所がある山崎は、昔から名水の里として知られてきた。江戸時代の「摂津名所図会」には、一帯に点在する有名な井戸が紹介されている。水は、ウイスキーにとって非常に重要だ。それはなぜかを解説したい。
 濃度の単位には、100万分の1を表すppmから、10億分の1をさすppb、1兆分の1のppt、1000兆分の1を示すppqがある。最新鋭の分析機器が測れるのはpptまでで、ppqとなると、ものによって測れたり測れなかったりする。ところが、人間はppqでも認識できる。
 人が「何かその匂いがあるとわかる最低の量」、「いつもと味が違う」など、その香りを認識できる最少の濃度・量を「官能閾値(いきち)」と言う。ビタミンB1分解物に対する官能閾値は1ppq。太陽と冥王星の間(60億㎞)に米粒が1個ある程度の濃度だが、ビタミンを割った時の何とも言えぬ良いにおいを人間は嗅ぎ分けられる。
 水の中には、このように科学的には分析できないが、人が認知できる微妙な成分が入っていて、ウイスキーの味、香りに影響している。水が重要である根拠だ。
 ウイスキーの作り方は、まず、大麦を粉にして熱い湯で溶かし、発酵タンクに入れる。2回蒸留すると無色透明のウイスキーの原液ができるので、それを樽に入れて寝かせる。
 樽には、オークの木しか使わない。オークにはいろんな種類があり、その種類によって色、味、香りが全然違うものになる。それに水の違いが加わっていく。

ウイスキーの色合いを確かめる参加者

 樽に入れ時間をおくと香りが出てくる。山崎ノンエイジはイチゴやサクランボ、シナモンなどの香りがする。山崎12年では劇的に変わり、柑橘類や熟した柿、マーマレードなどの香りに。18年はレーズンやイチゴジャム、チョコレートなどの特別な香り、25年になるとトースト、ココアなどの貴重な香りがつく。恐らく樽の中で化学反応が起きているのだろう。最初の水が何か大きな働きをして、大麦の成分、木から染み出た成分との相互作用が起きていると思われる。しかし、科学的メカニズムは、ほとんどわかっていない。
 10年、20年と樽に入れていると熟成度は上がるが、やがてどこかでピークを迎える。スコットランドのブレンダーの間では常識なのだが、実は、蒸留所ごとに熟成の仕方が違うことがわかっている。長く熟成が続くウイスキーと、早くへたるウイスキーがある。
 ワインも同様だ。一大ワインの産地、ボルドーのメドック地区には、全部で1500のシャトー(酒蔵)があり、格付けのトップに君臨する61の酒蔵は「グランクリュ」(特級シャトー)と呼ばれている。300円のワインをつくるのも、15万円のワインをつくるのも、工程はそう変わらない。何が違うかというと、畑(土壌)だ。ウイスキーでいう水と同様に土壌で違いが出る。では、土壌に何があるのか。これも、これだけ科学が進んでいるのに、なぜかわかっていない。
 ワインが年月を経てどう熟成するか、畑別熟成カーブを見ると、グランクリュのワインはピークが30年、40年、ひょっとしたら100年ぐらい長く続くが、普通のものは早くへたってしまう。ウイスキーとワイン、コニャックは熟成カーブをみるとパターンが同じ。違う種類の酒であるにもかかわらず、共通点がある。共通点に気付くことが、ものづくりの一番のポイントなのではないか。
 創業者、鳥井信治郎の話に移りたい。サントリーの創業は1899年(明治32年)。前身は鳥井商店。信治郎が20歳の時に、大阪で、1人で興した。スペインワインの輸入、炭酸飲料の製造販売からスタートした。
 彼には進取の気性があった。創業2年前の明治30年に、「向獅子印」の商標登録を出願していた。出願は信治郎の兄の名で、10歳ぐらい年の離れた兄に頼んで出してもらったのではないか、というのが私の想像だ。当時18歳の若さで、まだ日本で一般的でなかった商標に注目した。向獅子印を使って「ブランド」を創ろうとしたのだろう。
 終戦直後、大阪駅付近にあふれる浮浪者たちを見かけた信治郎は、「あの人ら死にかけや。黙ってみてられまっかいな」と言って、炊き出しを行ったばかりでなく、戦災で焼け出された身寄りのない人を収容する施設をつくった。人助けをしたい、見て見ぬ振りをしない、行動がはやい、直情径行、というのが信治郎の特性だった。
 亡くなったのは私が10歳の頃だが、生前は週に1回、祖父の家に行くのが、うちの一家のならわしだった。正月三が日になると、信治郎と三人の子ども、私たち孫らで正月の膳を囲んだ。元日には、午後から社員の方が信治郎の家に挨拶に来た。恐らく300人ぐらいが入れ替わり立ち替わり。お酒やたばこを飲んで、それは賑やか。家族主義みたいな当時の会社の雰囲気だった。

創業者・鳥井信治郎氏の「情けの経営」を語る鳥井信吾氏

 信治郎は一に情、二に情、三に情。四から七が商いで、八から情が三つ続く。基本は商いだが、天秤にかけると情がちょっと勝つ。面倒見が抜群に良く、遠い親戚の結婚や就職の世話をし、社員の冠婚葬祭にはすごく気を遣った。
 戦後、米軍が駐留した際、山崎工場は爆撃を受けなかったので、大量のお酒を売ってキャッシュが入った。そのとき、借金を申し込んできた相手に、金を貸すというより渡していたようだ。私が四十代ぐらいの時、名だたる企業の2人の方から「あなたのおじいさんに助けられた。あのお金が無かったら立て直せなかった」と御礼を言われたことがあった。
 サントリーの中には、彼の考え方が今も地下水脈のように流れている。気付かないが、何となく感じて行動するのが文化というか、社風になっているように思う。
 彼の言葉に「やってみなはれ」がある。やってみなわかりまへんやろ、やってみて初めてわかる、と。また、「陰徳をつむ」「親孝行な人は立派になれる」とも。「陰徳をつむ」とは、信治郎のお母さんの教えで、良いことをしても見返りを求めるな、御礼を受け取るな、ということ。御礼を受け取ったら、天がそれを見ていて「良いことをした」ということにしてくれないからだという。
 そんな背景があって、彼は社員に対し、「安心感」を与えてくれたところがあった。何かに熱中してもOKだ、と。だから、社員で変わった人がいっぱいいた。例えば、夜8時に出社して朝8時に帰るが、天才的な仕事をたくさんして、飲料部門の収益の三分の一ぐらいを稼いだ男とか。そんな勝手なことができて、容認されていたのは、一つの「安心感」だったのでは。信治郎は亡くなった後だったが――。彼の考えは、まだまだサントリーの中に生き続けているんじゃないか、と思う。(橋本 佳与)

ゲスト略歴(講演時)=1953年大阪生まれ。甲南大学理学部卒業。南カリフォルニア大学大学院修士(微生物遺伝学)。伊藤忠商事を経て、1983年にサントリー(株)入社。京都ビール工場、大阪工場長、生産部部長など生産部門を歩む。2001年同社代表取締役専務に就任。2002年、サントリーの創業者鳥井信治郎、二代目社長佐治敬三に続く、サントリーウイスキーの品質最高責任者・3代目マスターブレンダーに就任し、世界で高い評価を獲得するサントリーウイスキーの品質向上に大きく貢献する。2009年にサントリーホールディングス(株)代表取締役副社長、2014年には代表取締役副会長に就任。サントリー文化財団理事長も兼任する。在大阪デンマーク王国名誉領事、在大阪スペイン王国名誉領事など多くの公職も担う。2012年~2013年、関西経済同友会代表幹事。2014年から大阪商工会議所副会頭を務め、2022年3月に大阪商工会議所会頭に就任。祖父で創業者の鳥井信治郎の口癖だった「やってみなはれ」の精神を受け継ぎ、社業のみならず、関西・大阪の経済、文化、地域振興にチャレンジ精神を持って取り組む。